コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

次の会議までに読んでおくように! (アル・ピタンパリ著)

タイトルは著者が同僚に向けて書いたメモを想定しているそう。読み終わるのに一時間ちょっとという分量は、会議前に読むのにも悪くない。

ムダな会議が多すぎる。これが著者がこの本を書いたきっかけだ。そもそも会議とはどう意思決定するかを決める一番大切なツールであるべきものなのに、情報共有会議、定例会議、会議準備のための会議、何を話しあうかも曖昧なままとりあえず召集される会議…ときては、意思決定までたどり着けない。

こういう会議をやめるために著者は「モダンミーティング」を提唱する。

モダンミーティングは意思決定を導くためだけに開かれる。そのための「対立」と「協調」がモダンミーティングの目的である。会議で意思決定をするのではなく、すでにある意思決定を後押しする、対立や協調を通してさらに賢い意思決定をすることに、モダンミーティングの最大の特徴がある。そしてモダンミーティングでは、必ずやり遂げるためのアクションプランを創り出す。

これまで私が経験してきた会議で、このタイプにあてはまるのはとても少ない。それだけいい会議が少ない。来週頭にもただ召集されただけにしか思えない会議がある。せめて自分が会議を召集するときはモダンミーティングを念頭に置きたい。

 

 

人生に疲れたらスペイン巡礼 飲み、食べ、歩く800キロの旅(小野美由紀著)

カミーノ・デ・サンティアゴという道がある。スペイン北西部に向かって伸びるキリスト教の巡礼の道だ。800キロに及ぶ道を、険しい山や谷、荒野、点在する村、広大な麦畑やひまわり畑を抜けて、サンティアゴ大聖堂をめざす。必要なことは、歩くこと、ただそれだけ。

歩くことにどんな意味が? という問いにこの本はある人の言葉を引いて答える。

「人生と旅の荷造りは同じ。いらない荷物をどんどん捨てて、最後の最後に残ったものだけが、その人自身なんです。歩くこと、この道を歩くことは、『どうしても捨てられないもの』を知るための作業なんですよ」

毎日あまりにも多くのものごとに囲まれていると、しだいに考えが複雑になり、ありあまる情報にさらされるからこそ呑まれてどれが大切なのかわからなくなる。やがては考えること自体に疲れて飽きて、日々が楽しくなくなる。

そういう時にあえて単純な、歩く、走る、登る、をすると、疲れてきてたくさん考える余裕がなくなってきた頭が、勝手にどんどん捨て始める。捨てる順番は本能的だからこそ的確で、優先度の低いものから捨てるのだ。残ったものはしだいにどうしても捨てられないものばかりになってくる。

 

ところで、歩くことをテーマにした本に、アメリカの恐怖小説の巨匠スティーブン・キングが、リチャード・バックマン名義で書いた小説「死のロングウォーク」がある。こちらのルールも歩くこと。ただし一定速度を下回れば警告され、三回警告されれば、次に一定速度を下回ったときに射殺される。ロングウォークに参加するのは50人の少年。距離制限なし。最後の一人になるまで歩く。最後に残った一人は、望みを一つかなえられる。あらゆる望みを。

ロングウォークに参加する中で、少年たちは考える。なぜ歩くのか。そもそもなぜロングウォークなんかに参加したのか。最後まで歩いて残るものはなにか。最後まで歩いたとき、自分はなにを望むのか。

この小説のテーマはカミーノと同じだ。最後まで歩いたとき、極限までいらない荷物を削ぎ落としたとき、最後になにを望むだろうか?

 

成田屋の食卓 團十郎が食べてきたもの (堀越希実子著)

この本の初版は2016年10月30日。

校了だ印刷だといろいろあるだろうから、きっとこの日付よりずっと前に希実子さんの原稿が上がっていたはず。それはいつだろう。

「実はこの本を書いたのは、麻央ちゃんに読んでほしかったから」

終わりの方に、ちょっと恥ずかしげに書かれた言葉。

希実子さんがこの言葉を書き留めたとき、麻央さんはもう自分の身体の異変に気づいていただろうか?

 

歌舞伎役者十二代目市川團十郎の奥方として、梨園の妻として、数十年にわたり主人を支え続け、子育てからご贔屓の挨拶回りまでをこなし続けてきた堀越希実子さん。

本の表紙で微笑む上品な老婦人が、主人はこういうものを喜んで食べていましたの、時には手ずから好物をふるまってくれることもありましたのよ、と、ちょっぴり自慢げに、懐かしむように、おばあちゃんが子供や孫に教え聞かせるように語る。ちょっぴり自慢げなのは、希実子さんが試行錯誤しながら工夫を凝らしていた手料理を、夫や子供たちが美味しいと食べていたから。懐かしむのは、夫である市川團十郎さんが三年前に闘病の末世を去ったから。

教え聞かせるようなのは、やがて十三代目市川團十郎を襲名するであろう市川海老蔵の妻となった小林麻央さんに、美味しいものを引き継いで、自分なりの一工夫を加えて、また次代に引き継いでほしかったから…。

 

ザ・プラットフォーム -IT企業はなぜ世界を変えるのか? (尾原和哲著)

 

ザ・プラットフォーム:IT企業はなぜ世界を変えるのか?

ザ・プラットフォーム:IT企業はなぜ世界を変えるのか?

 

 

プラットフォームとは、著者の定義によると「個人や企業などのプレイヤーが参加することではじめて価値を持ち、また参加者が増えれば増えるほど価値が増幅する、主にIT企業が展開するインターネットサービス」のこと、すなわち仕組みの一種である。検索エンジン、アプリストア、食べログなどの情報ページ、SNS楽天などのオンラインショップ、すべてにこの定義があてはまる。

プラットフォームそのものよりも、その運営に欠かせない共有価値観をこそもっとも大切にするべきだと著者はいう。例えばGoogleの共有価値観は「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」だ。

では、彼らはそれでなにを成し遂げたいか?

情報整理ができたら、効率よく使うことが次にくるだろう。Googleはさらに踏みこんで「情報整理や情報取得などの雑念にとらわれることなく、目の前のできごとに集中できることで、なんでもない出来事からも高い満足感をえられるようにすること」をめざす。

例えば職場。同僚との情報交換がうまくいかなくてイライラしたり、どこに情報があるか分からなくて探すのに手間取ったり、優先度をつけられなかったり…よくある。ではそれをGoogleが代わりにやってくれたらどうだろう?  余計な雑念にとらわれることなく、よりよい仕事戦略を考えたり、あるいは早く帰って家族とすごしたりできるようになるかもしれない。

そういう「マインドフルネス」な世界をGoogleはめざしており、そのための投資や開発をしている。こう考えると、Googleの新製品を見る度に、そのコンセプトがGoogleの共有価値観にどうあてはめるのか、考えるのが面白くなる。

 

(2018/04/15 追記)

ふと思ったことだが、マインドフルネスも、人工知能 (およびそれにより人間の仕事が代替されること) も、この情報社会であまりにも増えすぎてしまった雑用から人間を解放してくれるのかもしれない。著者はこう表現する。

私たちは過去や未来のさまざまな雑念にとらわれることなく、目の前の出来事に集中できるようになります。そして、なんでもない出来事からも高い満足感を得られるようになるのです。

雑用が少なくなれば、(富の再分配の問題はあるにせよ) それぞれの人間が、本来やりたいことに使う時間をもっと増やせるかもしれない。たとえば創作活動であったり、アウトドアスポーツであったり、旅行であったり、ひとり深く思索することだったり、それでも仕事が好きだから仕事する人もいるだろう。

人工知能に雑用をまかせることで、人間はひとり深く思索し、そもそも知能とはなにか、生きるとはなにか、といった哲学的問いかけに集中できる。ーーそう考えるとなんだか滑稽だ。ギリシャ哲学の誕生から4000年。この間人類は数限りない技術的進歩を遂げたが、そのあげくたどり着くのが、出発点ともいえる哲学に好きなだけふけられる世界とは。

明日から部下にイライラしなくなる本 (高橋克徳著)

「はじめに」ですでに中間管理職の苦労と悲哀がひしひしと感じられて、きっと先には解決策が書かれているはずだから早く読み進めたいと思えてくる、そんな本。

なんでこんなこともできないのか、なんで同じミスばかり繰り返すのか、なんで自分から考えて動こうとしないのか…上司の部下への不満は多い。しまいには部下が自分の足を引っ張るとさえ感じられてしまう。

けれど、その原因は上司が部下の成長段階(フェーズ)に合わせた関わり方をしていないからかもしれない。または、一人の人間として部下と性格や行動パターンやその背後にある心理をつかんでいないからかもしれない。

成長段階には「学ぶ」「やり切る」「伝える」「超える」の四つがあり、どのフェーズにいるかは部下ごとに違う。仕事の内容や姿勢を「学ぶ」フェーズにある部下に、自力で考えて仕事をやりとげる「やり切る」フェーズの仕事ぶりを要求してもうまくいかない。能力の問題ではなく、まだそれができるフェーズに達していないだけかもしれないのだ。こう考えることで上司の期待と部下の現状をすりあわせることができれば、それだけで随分違う。大切なのは他人と比較するのではなく、その人の過去と比べること。その人自身の変化と比べることで、部下の成長が見えてきて、イライラよりも嬉しいことが増えてくる。

 

マンガで食えない人の壁 (トキワ荘プロジェクト)

とても読み応えがあるプロ漫画家のインタビュー集。冒頭にこうある。

教育の難しいところは「教えられている側は身につくまで、教えられていることの重要性が分からない」ということです。…「先輩がそういうのだから、自分には分からない何かがあるのかもしれない」くらいに考えてみてください。

読み通すのに苦労するほどの分量にたっぷりつめこまれたプロ漫画家の知恵を、これから漫画家をめざす人に少しでも汲み取ってほしいという願いがこめられている。

語られていることは13人13色だが、とにかく最後まで描き切ること、自分のこれというものが見つかったらそこで勝負すべきこと、編集者と意見が合わないときは自分の伝えたいことがきちんと表現されていないと疑うこと、など、意外と起業あるあるが多かったように思う。漫画家は個人商売だから、起業家と根っこのところで同じなのかもしれない。

エンジニアがビジネスリーダーをめざすための10の法則 (ベイカレント・コンサルティング)

 

エンジニアがビジネスリーダーをめざすための10の法則

エンジニアがビジネスリーダーをめざすための10の法則

 

 

これもまたタイトルに一目惚れした本。

技術者と管理職、開発と営業、お互い協力すべきなのに、お互いの主張を繰り返すばかりでコミュニケーションがうまくいかない、というのをよく見聞きするから、その原因と解決のヒントを得られるかもしれないと思い、選んだ。

読んでみると、とても納得いく内容だった。

本書はエンジニアとマネジメントの意思疎通がうまくいかない原因を、「エンジニアが、ビジネスリーダーとしての『問題解決力』と『営業力』を身につけていないこと」だと断じている。ここで営業力は「真摯に相手の話を聞き、本質的な課題を引き出し、プロフェッショナルとして解決策を導出し、相手にわかりやすく説明し、相手を突き動かしていくことが真の問題解決であり、そこで必要となる力が営業力」と説明されている。

これと正反対のことをしているエンジニアはとても多い。

エンジニアは時に今ある技術からなにができるかから考え始めるが、提案は本来顧客のニーズ/思いに対してなされるものであって、起点が違う。営業系のビジネス書にはことごとく「最初にカタログを出すな、まずはお客様のニーズをつかむため対話しろ」とあるが、エンジニアなどはまっさきにカタログを出して仕様説明を始める人種だ。

加えてエンジニアは正確な分析、細かく全面的な情報、専門用語が好きだ。だからビジネスリーダーに求められる、多少粗くてもその場で解決策をわかりやすく提示することがとても苦手だ。

おまけに彼らはおそらくそうすることをあまり必要だと感じていない。エンジニア同士で話すぶんには必要ない能力で、営業やら管理職やら経営陣と話すときに初めて違和感を覚えるからだ。

ここがおそらく一番問題で、その必要性をエンジニアに気づかせる方法はこの本には書いていない。エンジニア自身が失敗を繰り返す中で、自分のやり方を反省し始めるのを待つしかないのならなんとも効率が悪い話だ。いっそ、エンジニア全員に技術営業として半年間業務をさせてはどうかと思う。嫌でも自分のやり方を見直さざるをえないだろう。