コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

同じモノを売っているのに、儲かっている会社、儲からない会社 (金子智朗著)

この本で著者は、手を変え品を変えて「利益の源泉は顧客であり、製品ではない。最新技術を使った製品が売れるのではなく、顧客がほしいと思う製品が売れる。従って顧客の価値になるような商品開発を行い、マーケティングをすることが重要である」と述べている。

この本は多少著者の主観が強すぎるようだ。例えば「信頼関係に基づく強い関係性が構築されれば、顧客は必要以上の値引きや相見積もりなどもしなくなります。また、新規顧客があまり買わないような高価な製品にも関心を持つ可能性が高くなります」という一文があるが、この経済停滞のさなか、信頼関係があるからといって顧客が甘い判断を下すのを、個人ならまだしも、経営者相手であれば果たしてどこまで期待できるだろうか。

また例えば「中国のような新興国では、言われたモノを言われた通りに作ってさえいれば、その国の生活水準を満たすだけの利益を出すことができます」という一文があるけれど、この本は2011年出版である。その前年の2010年、中国の国内総生産(GDP)成長率は前年比で実質10.3%増となり、名目金額で日本を追い抜いて世界第2位となっている。

もちろんGDPは先進国と新興国を分ける指標ではないが、それだけの成長が果たして「先進国に言われた通りのモノ作り」に由来するのか、ちょっと首を傾げたくなる。日本とて高度経済成長時代はモノ作りが一大産業だったが、「アメリカに言われた通りのモノ作り」ではなく、自分達の強みを考え抜いて日本ブランドを立ち上げていた。ソニートヨタなどの例から明らかだろう。

色々引っかかるところがあるにせよ、さらりと読むにはいい本、というところだ。

 

人生ドラクエ化マニュアル (JUNZO著)

 

 

面白くて一気に読んだ。

ゲームとは、目的を達成するための、ルールに基づいた、敵との楽しい闘い!

から、

人生を含むあらゆるものにゲームの三大要素(目的、ルール、敵)をブチこめばそれはゲーム化する

という着想を得た著者による人生ゲーム化理論。

自分の人生なのだからこれらはすべて自分で設定しなければならないというわけで、人生の目的を自ら設定し(ワクワクすること、好きでたまらないこと、強烈に実現したいこと)、ルールに従い(発見するor活用するor作る必要がある)、敵との闘いを楽しんで、時にはどんな攻撃を繰り出してくるのかワクワクしつつ、得られる金や経験値を望む。(目的達成を阻む一切合切の障害が含まれる、面白いことに目的設定した瞬間に敵と難易度も自動生成される)

どれも重要だが楽しい。

例えばルールの発見。著者はこういう。

ゲームルールとゲームルールもどきを見分けなければならない。ゲームルールもどきは、支配力の強度や、例外の多さに着目することによって見分けることができる!

よい大学やよい会社に入れば幸せになれる、はそういう意味ではゲームルールもどきだ。

例えば経験値。ゲームでは勝った時のみ経験値が入る。ところが著者いわく人生ではこうだ。

敵と闘えば、勝っても負けても、さらには途中で逃げても、経験値増加!

ならば敵を避ける理由はなく、むしろ嬉々として闘いに行こうではないか。

 

さて、人生の中で最も強いルールはなにか?

答えは「人は必ず死ぬ。それがいつか事前に知ることはできない」だ。著者がゲーム風に言い換えたところのある日突然強制電源オフ、コンティニュー・再ゲーム不可だ。

この恐怖のゲームルールに、しかし人々はあまり注意を払っていないように見えると著者は言う。だがこのルールを活用することはできる。いつゲームオーバーになっても後悔しないように「今日の今、この瞬間の敵との闘いを楽しむこと、これを最優先する」である。

振り返れば私は、仕事では許される限りの状況において、自分が楽しめることを優先してこなしてきたように思う。楽しくないこと、私以外の誰かがやってもよさそうなことにはモチベーションが上がらず、成果も平凡だった。いつかどこかの本で読んだ「キャリアに入れたい仕事経験、あえて入れたくない仕事経験を選ぶことができる」というような言葉が頭に残っていたのも原因の一つだと思う。

だから経験したプロジェクトについて聞かれると「大変だったけど楽しめたよ」と答えられることも多い。一番自信をもってそう答えられるのが、仕事人生でも一二を争う難関プロジェクトなのだから面白い。

 

この本はドラクエ好きはもちろん、そうでない人も、人生について違うとらえ方をするためのヒントとして楽しく読めると思う。ドラクエ風コマンド選択画面がところどころに入っていて遊び心満載だから、それこそゲーム攻略本感覚で読んでみては。

「ニセ医学」に騙されないために 危険な反医療論や健康法から身を守る! (NATROM著)

 

「ニセ医学」に騙されないために   危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!

「ニセ医学」に騙されないために 危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!

 

 

小学校に上がる前後、家庭医学関連の分厚い本を児童書のように読みふけっていた時期があった。勉強のためではもちろんなく、怖いもの見たさで頭痛、腹痛、喀血などさまざまな症状について書かれているのを見たり(幸か不幸か写真掲載はなかった)、食事療法や漢方薬の紹介をレシピ本感覚で読んで面白がっていたりしていた。小学校の間にその本への興味はなくなり、その後医学関係に進むこともなかったが、今でも医学関係書にはなんとなく親しみを感じる。

だからと言って、今回手に取ったこの本に書いているような「ニセ医学」にひっかからないというわけではない。なぜなら同時期に、気功ーーまさにこの本で「ニセ医学」とされているもののひとつーーの本も読んでいたからだ。親族に気功の治療効果や長寿効果をかなり本気で信じていた人がおり、その人にすすめられた。小学校当時の私にとっては、魔法で病気が治ったと言われているようなもので、気功師が手をかざせば次々症状が良くなる患者の話を面白がりはしたものの、じき興味を失った。

 今思うと、子供時代にこうしたことに偶然触れたのはプラスに働いている。その後の人生でも、医学や気功が好奇心の対象になり、より多くを知ろうと思うからだ。自分で調べようと思えるだけで、与えられた知識を鵜呑みにする危険性が減る。難しいからよくわからないけれど偉い先生がそう言っているのだからそうに違いない、と思考停止するリスクが低くなる。

 

この本では多種多様な「ニセ医学」が紹介されている。ワクチン有害論、ステロイド有害論、がん治療不要論、ホメオパシー、水素水、一度は聞いたことがある言葉が多い。あの芸能人も使っていると煽りたてる広告をよく見る。

そのすべてについて著者は説明し、主張の矛盾点をついている。偏った情報のみ引用して結論を出しているもの、効いたという情報しかなく詳細不明なもの、いずれも「専門家による検証に堪えるものではない」と説明されている。

だが、ここからが難しいところで、信じる人は信じてしまう。がん患者が余命宣告を受けた時、藁にもすがる思いで代替療法に頼ることもあろう。医療知識が発達していない時代の常識や思いこみをそのまま信じ、訂正する機会がないまま生きてきた人もいよう。そういう人達が「正しい全面的な情報を得た上で」代替療法を選ぶことを著者は否定していない。著者が怒りをもって批判しているのは、人の命に関わるものであるにもかかわらず、「ニセ医学」をビジネスに利用するためにあえて正しい情報、全面的な情報を出さないやり方をする人々がいることだ。

 

この本には現代医療、代替療法、健康法それぞれについて項目があり、日本にある「ニセ医学」をほぼ網羅している。目次を見てもし「これ効くかどうか前から気になってた」という項目があれば、一章ごとは短くてすぐ読めるから、まずは読んでみてはいかがだろう。

システム障害はなぜ二度起きたか (日経コンピュータ編)

みずほが東日本大震災直後に引き起こした大規模なシステム障害は、大ニュースになったため私の記憶に残っている。当時は義援金振込が殺到したためシステムダウンしたらしい、くらいの認識だったが、この本を読んで、その考えが間違っていたことがわかった。

本書では、根本的な原因は、みずほとみずほフィナンシャルグループの歴代経営陣のIT軽視、あるいはITへの理解不足にあるとする。自社の情報システムとそれを支えるシステム部門の強みや弱み、課題などを把握していない、知ろうとしていない点だ、と言い切っている。

東日本大震災直後のシステム障害は、みずほ銀行口座への義援金振込が殺到したことがきっかけで、取引明細の件数が一日に格納できる上限値を超えたことから始まった。ここで最初の問題が起こる。まず義援金振込のような件数がとんでもないことになることがわかりきっている口座の場合、上限値なしの口座種類にすべきだったが、そうなっていなかった。

閉店後、みずほ銀行は未処理の振込情報を一括処理しようとした。ここで次の問題が起こる。一括処理にも上限値があり、さらにシステム担当者はそれを知らなかった。おまけに一括処理が異常終了したことでなんと振込データの一部が破損し、データ復元に大わらわになる。

最後の大問題が、しだいに明るみに出るのはこのころだ。一括処理が正常終了しなければ、次の日の業務開始のためのオンライン処理が始められない。23年前にシステムが設計された当時からこうなっていた。

雪だるまが転がるうちにだんだん大きくなるように、問題が徐々に大きくなっていった。店舗営業開始時間になってもコンピュータが立ち上がらない、一部ATM不具合を経て、ついにATM全面停止、インターネットバンキング停止、振込大幅遅れなどの事態になだれこんだ。

大規模障害が問題になったことがあるのはなにもみずほ銀行だけではない。東京消防庁の消防車・救急車出動支援情報システム、羽田空港の航空管制システム、いずれも大規模障害を経験している。ではなぜこういうことが起こるのか? 著者は、老朽化や肥大化により企業情報システムの規模と複雑さと範囲が自己管理できる限界を超えつつあること、さらにプロジェクトマネジメントができる人材がいないからシステム開発プロジェクトがうまくいかないのだと指摘する。だが一番欠けているのは、情報システムの問題は、経営の問題であって、技術の問題ではないという認識だ。

エンデュアランス - 史上最強のリーダー シャクルトンとその仲間はいかにして生還したか (アルフレッド・ランシング著)

 

エンデュアランス ──史上最強のリーダーシャクルトンとその仲間はいかにして生還したか (フェニックスシリーズ)

エンデュアランス ──史上最強のリーダーシャクルトンとその仲間はいかにして生還したか (フェニックスシリーズ)

 

 

この本に書かれていることはすべて真実である。史上稀に見る凄まじいできごとを、それを生き抜いた男たちの姿を、著者はできる限り正確に再現しようとしている。重厚なドキュメンタリーだ。

できるならば夏ではなく、冬の夜、暖房を切った部屋の中で薄い毛布にくるまりながら、仄暗い間接照明のもとで読むと臨場感が出るかもしれない。なにしろこの本に書かれているのは、雪と氷に閉ざされた南極海の極寒地を二年近くさまよいながら、ついに不屈の精神で生還した男たちの物語だから。

 

サー・アーネスト・シャクルトンは、南極大陸横断探検隊の隊長として、1914年12月5日、第一次世界大戦開始直後に、二十七名の隊員とともにエンデュアランス号に乗りこみ、南極大陸を目指した。

だが南極大陸を目前として船は流氷に囲まれて動けなくなり、それどころか海流に乗って南極大陸から離れる方向に流されていってしまった。南極大陸の冬の間、男たちは船の中で過ごすことを余儀なくされた。1915年10月27日、氷盤の圧迫を受けてエンデュアランス号が破壊され、男たちは船を放棄して氷盤上に移らざるを得なくなってしまう。

ここから氷雪との長く苦しい戦いが始まった。流氷から逃れることができない男たちは、流氷に乗ったまま、それが海流に乗って少しでも陸地に近いところまで自分達を運んでくれることを願うしかなかった。南東風や潮流に乗って、流氷は少しずつ南極圏を脱していった…だが、氷のない海が近づくということは、男たちが乗った流氷もまた脆くなることを意味した。流氷が崩れる直前に辛くもボートに移ることに成功した男たちは、五日間近い不眠不休のボート漕ぎの末、やっとのことで小さな島に上陸する。実に一年以上踏むことのなかった陸地だった。だがそこは群島の中の小さな無人島にすぎず、捕鯨船団の港がある島まではさらに過酷な航海が必要だった…。

著者は隊員たちの日記、インタビューなとから、緊張、恐怖、希望、絶望が刻一刻と変わるこの遭難の一部始終を再現している。シャクルトンは不屈の自信をもち、隊員たちの心を沸き立たせ、士気を維持することに心を砕いた。失敗が死につながることを承知している隊員たちの結束は硬く、苛烈な自然に翻弄されながら、精一杯生還のために努力した。

驚くことに、どんな過酷な状況下であっても隊員たちはやがて慣れてしまい、それどころか状況を楽しみ、状況変化を好まなくなる。この本にもはっきりとそれが浮かび上がる。

100歳まで成長する脳の鍛え方(加藤俊徳著)

中高年年齢層をターゲットに、脳を鍛えるためのトレーニング方法紹介している本。手にとってはみたものの、私にはまだ早かった。一日一冊読了すると決め、手当たり次第に読んでいればこういうこともある。

著者は、脳は100歳まで成長出来ると主張する。脳の可能性を最大限に発揮するためには、夢と挑戦、ワクワク感を持つことが大切だ。あることが苦手なのは、それをするのに必要な脳の部分が充分な刺激と情報を与えられておらず、ネットワーク脳環境が発達しておらず、しかも自分で気づいていないから。

脳の発達していない部分を成長させるためには、脳の大好物である「初めてだから挑戦したい!」という前向きな考え方を与えてやることが、なによりの特効薬である。自分の願いを脳に作り出し、実行している人の脳は衰えることはない。

ジョギングから始めるフルマラソン (内山雅博著)

 

ジョギングから始めるフルマラソン

ジョギングから始めるフルマラソン

 

 

フルマラソンを走ることが健康につながるというより、いつでも走り(歩き)切るだけの健康を確保していたいというのが、私の希望です。

著者は冒頭にこう書いている。まさにその通りで、フルマラソンに申しこみ、フルマラソンを走ると考えるだけで、自然に食事や生活習慣に気を配り始めるものなのである。これこそがフルマラソンを走る最大の効果だと思う。

実際のフルマラソンは身体に多大な負担をかける。実業団選手であればシーズン内にフルマラソンを走るのはせいぜい一〜二本(川内優輝選手のように月一回フルマラソンを走るような選手はとんでもなく例外だ)、走り切るのにエネルギー補給は必要不可欠(レース前に摂取したエネルギーだけでは足りない)、レース後一週間程度は免疫力下がっているため風邪を引きやすい、などの話に事欠かない。私個人で言えば、両足裏にマメができて歩くのに難儀する、それが治ったと思ったら股関節が痛み始めてしばらくはランニングできない、などだ。

それでも走る人々はそれ以上に得られるものがあるためで、私もその一人だ。まだ完走を目指すレベルでタイムを気にする段階まではほど遠いが。

フルマラソンに限らず、毎日のジョギングは心身を整え、余分なエネルギーや考えを発散し、すっきりした状態で仕事やプライベートに向き合うことに役立つ。私の場合、朝30分ジムで走る日と走らない日とでは明らかに心身の安定度が違う。一番顕著な効果は理不尽なことがあっても怒り出さず冷静に打開策を考えられるようになること。なんのことはない、怒るためのエネルギーをすでに走ることで消費してしまうからだ。

一流のビジネスマンはどんなに忙しくともみな趣味で何かしらのスポーツに定期的に時間を割く。ゴルフ、水泳、ジョギング、登山などなど。かのオバマ前大統領も、選挙戦の殺人的なスケジュールの中、毎日必ず一時間割いて、随行補佐官とバスケットボールに興じていたという。ストレスを解消する最も良い方法を知っていたのだ。

フルマラソンは体力さえあれば完走できるものではない(そもそも途中でのエネルギー補給必須だ)。こころとからだをコントロールすることが重要な鍵になる。もっと速く走れる、速く走りたいという欲求をどうコントロールするかに尽きるというのが著者の考え方だ。初心者はこわごわとスタートラインを通過し、ペースを抑えてコンスタントに走るくらいがちょうどいい。