コーヒータイム

日々読んだ本の感想。時々日常。

「人生に疲れたらスペイン巡礼 飲み、食べ、歩く800キロの旅」(小野美由紀著)を読んだ

カミーノ・デ・サンティアゴという道がある。スペイン北西部に向かって伸びるキリスト教の巡礼の道だ。800キロに及ぶ道を、険しい山や谷、荒野、点在する村、広大な麦畑やひまわり畑を抜けて、サンティアゴ大聖堂をめざす。必要なことは、歩くこと、ただそれだけ。

歩くことにどんな意味が? という問いにこの本はある人の言葉を引いて答える。

「人生と旅の荷造りは同じ。いらない荷物をどんどん捨てて、最後の最後に残ったものだけが、その人自身なんです。歩くこと、この道を歩くことは、『どうしても捨てられないもの』を知るための作業なんですよ」

毎日あまりにも多くのものごとに囲まれていると、しだいに考えが複雑になり、ありあまる情報にさらされるからこそ呑まれてどれが大切なのかわからなくなる。やがては考えること自体に疲れて飽きて、日々が楽しくなくなる。

そういう時にあえて単純な、歩く、走る、登る、をすると、疲れてきてたくさん考える余裕がなくなってきた頭が、勝手にどんどん捨て始める。捨てる順番は本能的だからこそ的確で、優先度の低いものから捨てるのだ。残ったものはしだいにどうしても捨てられないものばかりになってくる。

 

ところで、歩くことをテーマにした本に、アメリカの恐怖小説の巨匠スティーブン・キングが、リチャード・バックマン名義で書いた小説「死のロングウォーク」がある。こちらのルールも歩くこと。ただし一定速度を下回れば警告され、三回警告されれば、次に一定速度を下回ったときに射殺される。ロングウォークに参加するのは50人の少年。距離制限なし。最後の一人になるまで歩く。最後に残った一人は、望みを一つかなえられる。あらゆる望みを。

ロングウォークに参加する中で、少年たちは考える。なぜ歩くのか。そもそもなぜロングウォークなんかに参加したのか。最後まで歩いて残るものはなにか。最後まで歩いたとき、自分はなにを望むのか。

この小説のテーマはカミーノと同じだ。最後まで歩いたとき、極限までいらない荷物を削ぎ落としたとき、最後になにを望むだろうか?