同じ著者による本の2冊目。
THE OBSTACLE IS THE WAY - 障害は道になる。著者が腕にタトゥーとして彫りこんでいる、この言葉の意味を説く本だ。
ローマ帝国皇帝アウレリウスが書き留めた言葉からこの本は始まる。
われわれの活動が障害に阻まれることはある…だが、意志や心構えまでも阻まれることはない。われわれは、どんな苦境にも合わせて自分を変えていけるからだ。精神の働きによって、活動の妨げになるものを、目的の達成に役立つものに変えてしまえばいい。
障害の中にはチャンスが眠る、と著者は説く。自分を試し、新しいことに挑戦し、最後に勝つためのチャンス。進むべき道を示すチャンスだ。そのチャンスをつかんだ者が障害を乗り越えて飛躍する。
障害を乗り越えるためには自分を鍛える必要があるが、それは三つの段階からなる。⑴ 個々の問題に対する見方や態度、向き合い方 ⑵ 問題を克服してチャンスに変えるためのエネルギーとクリエイティビティ ⑶ 敗北を認め、困難と向き合うために内なる意志を育て養うこと だ。
うれしいことに、充分鍛錬を積めば、本能の罠に陥ることなく、自分のものの見方を自分で完全にコントロールできる。敗北感、混乱、挫折感、自己防衛反応としての怒り、自己正当化、攻撃性……それらは本能的反応で、きれいになくすことはできない。しかし、ものの見方をするにあたり、これらの衝動に影響されていることを自覚しつつ、これらの衝動に身をまかせないことを、選ぶことができる。他人にものの見方、状況の受け止め方を決められることは絶対にない。
障害を乗り越えるいい方法がある。プロセスだ。深呼吸して障害を分解してみる。それから今やるべきことをこなす。それができたら次の部分へ移る。順番に解決した個々の部分がプロセスだ。それがつながって、やがて障害を突破できる。
アウレリウス帝はこうも書いている。
今この瞬間に、客観的な判断をせよ
今この瞬間に、利他的な行動をせよ
そして今この瞬間に、外部の状況をありのままに受け入れよ
なすべきことはそれだけだ
障害にぶちあたったとき、私はどうしただろうか、と自問自答してみる。
記憶の中の自分自身は情けない限りだ。自信喪失し、葛藤し、ストレスをため、誰も助けてくれないことに苛立ち(ずいぶんな甘えだ)、自信がないことを隠そうと躍起になるあまり攻撃的な態度が多くなり、チームメイトに礼儀にかなうとはとてもいえない言動をとり、八つ当たりし……と、典型的な衝動に身をまかせた反応をさんざんしてきた。
それでなにか得られたか? ーーいいや。一時的に気分が良くなっただけだ。
それでなにか失ったか? ーーもちろん。チームメイトとの人間関係や協力関係に亀裂が走った。一度裂けた人間関係は決して前と同じ状態には戻らない。前と同じように彼らの協力を得ることは難しいだろう。
反省したか? ーーしている。それでも少なくともどういうことに自分が苛立ち、どういう状況でそれが態度に出るかを学んだ。
過去起きたことを後悔しているか? ーーしていない。未熟な自分自身が人生のどこかでいずれ一度はしていたであろう失敗だ。それがすでに起きたことに感謝すべきだろう。予防注射のようなものだ。苦い経験が戒めとなり、将来同じことを繰り返さずにすむなら、授業料だと思うべきだ。せめて失敗からできるだけ学ぶことだ。
過去の自分がしたことはまったくの失敗だったと認めているか? ーー正直言うと、未だに過去の自分自身をなんとか正当化出来ないかと、気づいたら頭をひねっている。酔っていた、相手がこちらに聞く耳持たなかった、相手が無知だった、英語だからうまく伝えられなかった、など。こう思ってしまうのはエゴの仕業だろう。克服すべきだ。
障害が道しるべに見えてきたか? ーー少なくとも、以前よりも取るに足りないものに見えてきている。知らなければ学べばいい。時間が限られているならまずは現状把握の上、相談すればいい。難しいことではない。そうだろう?