吉田修一は、尊敬する友人が大絶賛している作家だ。これまではあまり手に取らなかったが、ふとしたきっかけでこの「さよなら渓谷」を読んでみることにした。
舞台は美しい渓谷からしばらく山側に入ったところにあるかなり老朽化が進んだ市営団地。古く審査が厳しくないこともあり、年金暮らしの夫婦、独居老人、母子家庭、さまざまな人が流れつくように住み着いており、住民同士の交流もほとんどない。
朝起きたときに背中から汗が流れ落ちるような暑い夏の日に、母子家庭の4歳の子供、立花萌が失踪し、渓谷上流で遺体が発見された。容疑者として母親の立花里美が逮捕され、事件は収束に向かうと思われたが、立花里美が「となりに住む夫婦の夫と男女関係にあった」と言い出したことで隣人の尾崎俊介・かなこ夫婦に注目が集まる。
記者の渡辺一彦は立花里美宅に張りこんでいた流れで尾崎夫婦にも注目し始めるが、不可解な点が次々出てくる。尾崎俊介とかなこは籍を入れておらず内縁関係であること、住民票が移されていないこと、尾崎俊介が大学時代のある夏、野球部のチームメイト数人と女子高生を集団レイプし、有罪判決が下されていたことーー。物語は尾崎俊介、渡辺一彦、そしてかなこの視点を交えながら語られる。それぞれの視点から見えるものが異なり、三者三様の視点をもって徐々にさまざまな状況、心理、選択が浮かび上がる。
許されざることをしたとき、人はどのようにその後の人生をすごすのか? 尾崎俊介の答えは「過去に囚われる以外生きる道を見出せなくなること」だった。汗ばむ夏の日の中に、うだる夏の闇の向こうから、どんなに逃げようとしても逃げられないかつての夏の夜が迫ってくる。そんな小説だった。