下巻を一気に読みきった。読後感は少しの救いと、少しの絶望がまざっている。
山神一也はいた。だが「さよなら渓谷」でもそうだったように、山神一也が誰なのか、なぜ八王子殺人事件を起こしたかは作品の中心ではない。山神かもしれない田代、直人、田中の三人に共通する「素性の知れなさ」に、「相手に好意をもつ」愛子、優馬、泉が見せた三者三様の反応こそが、深い印象を残す小説だった。
ある夏の日、一人の男が生活の中に入ってきた。
彼に好意をもつ。
彼の素性をなにも知らない。
公開捜査番組を見た。彼のいくつかの特徴が指名手配中の八王子殺人事件の容疑者に一致するような気がする。
その時どうするかで違えた。問うか、問わないか。状況証拠から探るか、会話から手掛かりを得ようとするか。
彼を信じるか。
愛子、優馬、泉、それぞれの反応に、彼ら彼女らの人生、家族や友人が彼ら彼女らに向ける視線が間接的にうつしだされているのが、作者の力量だろう。見事すぎて舌を巻く。
好意をもち、好意を返してくれる彼に、冗談半分にせよ「あなたは殺人犯か?」と問うかどうかは、彼と彼の好意を信じること、彼に好意をもった自分自身を信じることと結びつけられている。だから口にできない。だが、疑いをもってしまった以上、これまでと同じふるまいはどうしてもできない。
作者はとても丁寧に状況を積み上げている。彼を疑う言葉を口にすれば関係そのものが終わるように。それだけに三者三様の事情に感情移入し、それぞれの選択がますます救いと後悔と衝動と慟哭をもたらす。
「信じてくれって言われたのに」
「なんで信じるんだよ」
「信じていたから許せなかった」
それぞれの言葉はちょっと違うだけだけれど、こめられた意味も、その後の結末も、全然違うものになった。