コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

『銃・病原菌・鉄(下)』(ジャレド・ダイアモンド著)

 

 

どっしりとした名著の下巻。話は次第に技術発展に入っていく。

技術発展に対する著者の見解はこうだ。

技術は、非凡な天才がいたおかげで突如出現するものではなく、累積的に進歩し完成するものである。また、技術は、必要に応じて発明されるのではなく、発明されたあとに用途が見出されることが多い。

自動車が登場する以前の社会では、人びとは馬と馬車、汽車で特段不便を感じていなかった。ゆえに自動車が発明されてからも、長らく高価なおもちゃ程度にしか認識されていなかった。しかし戦争でより大量に物質輸送する必要性が生じ、徐々に自動車に注目が集まるようになっていった。

ではそうした技術はどこで進展したか?  ここでも著者は食糧生産の重要性を説いている。食糧生産による余剰食料の確保は、農民に生活を支えられた非生産者の技術者が生存することを可能にした。また定住することによって、持ち運べないほどにかさばる機織り機やら焼き物窯やらを作っても困らないようになった。こうして食糧生産が早くに始まった地域での技術発展も早くなった。

 

話はいよいよ旧世界と新世界の衝突に入る。なぜスペイン征服者はインカ帝国を滅ぼし、逆にはならなかったか?

著者はこれまで述べてきたことに基づき、いくつか要因を取り上げている。ユーラシア大陸の方が食糧生産開始時期が早く、金属加工や軍事技術などの技術発展が進んでいたこと。ユーラシア大陸には家畜飼育に適した動物(特に軍用動物としての馬)がいた一方、南北アメリカ大陸にはそれがなかったこと。ユーラシア大陸の住民には家畜飼育で生じた伝染病、天然痘、麻疹、インフルエンザ、ペスト、結核チフスコレラマラリア、黄熱病(リストアップするだけで鳥肌が立つ)への免疫があったが、南北アメリカ大陸にはなかったこと。すなわち人種上の差異よりも、その時たまたま住んでいた環境からもたらされる影響の方が大きいと、著者は考察している。

事実、人種上の差異はそれほどないのだとわたしは思う。かつて世界でもっとも文明が発展したのはギリシャ・ローマで、その没落後は隋・唐が栄えた東アジアとなった。その後文明の中心は中東のイスラム文化圏に移った。ヨーロッパが文明の中心となったのはさらにその後で、それまでは辺境の野蛮国家扱いされ、イスラム圏の人々に何度も侵攻されながらからくも独立を保ったのである。そして現在、世界最強国はアメリカである。文明の中心は常に移動しており、そこに人種の一貫性はない。今後、文明の中心がどこに移動するかはわからないけれど、もし100年後に同じテーマで本を書いても、少なくとも人種については、同じ結論になるだろう。