コーヒータイム

日々読んだ本の感想。時々日常。

魯迅『阿Q正传』を読んだ

魯迅作品の中でも有名な、魯迅唯一の中篇小説だが、初読の感想は「わけわからん」だった。

未荘という村に住む貧乏労働者阿Qは、どこにでもいるような貧民だ。家がなく、着ているものはボロボロで、さびれた寺の建物の中で寝起きし、時折村民のところで短期間働いては工賃を酒につぎこむような生活をしている。しょっちゅう村人にからかわれては喧嘩沙汰になり、こてんぱんにのされるが、本人は「ガキにやられるとはなあ」と、相手をガキ扱いすることで自分が上になったような気分になって機嫌をなおすのであった。彼は心の中で結果(この場合はケンカに負けたこと)を都合よくすりかえて自分の勝利と思いこむことでプライドを守るのを得意としていた。

ある出来事をきっかけに村を出て町に行った阿Qは、そこで「革命党」メンバーが死刑執行される場面を見学する。町では窃盗をしていたが、露呈しそうになって村まで逃げ帰った阿Qは、次第に「革命党」を名乗ればまわりがビビるのに気づき、意味もわからないまま得意になって「革命党」のふりをし始める。ある日村の有力者の家屋敷が「革命党」に略奪される。阿Qは略奪に関与した疑い(それは事実ではなかったが)で、かつて窃盗対象にしたこともある町の有力者に逮捕され、死刑執行される。彼の死刑を、観客たちは「見栄えがない」と批判するのであった。

読み終わった正直な感想は「アホが自滅した」だ。

だが魯迅は、まさにこの「アホ」を意図的に描き出したのだ。現代を生きる私から見えるものと、旧朝廷と新政府が覇権をめぐって激闘した20世紀初頭を生きた魯迅から見えるものとは天と地ほども違う。この小説はそれをふまえて初めて意味がわかる。

この意味で、現代の視点から安易にあれこれいうべきではないのだろう。

解説を読んだところ、この小説は当時の中国社会の最大の病理であった、民衆の無知・無自覚精神、革命となれば意味もわからないまま関わろうとし、死刑執行を目にしてその見栄えのわるさに不平不満をもらす愚昧なまでの残酷さを、阿Qの半生に反映させることで痛烈に批判したものらしい。極端なまでにカリカチュアされた、強きに従い弱きを虐げ、都合のいいようにしかまわり見ない滑稽な阿Qの人間像は、魯迅がそれを客観的に描きだすことで、読み手に自分自身の滑稽さをつきつけるためのものだ。さらにいうと、この愚昧さこそが当時の政治的腐敗、侵略されているにもかかわらず上層部が現実を見ようとしないことで民衆に生じた心理的状態だと分析する学者もいる。

小説終盤、阿Qが死刑に処され、見物人たちが「銃殺刑はおもしろくない、首切りのほうがいい」などという場面がある。同胞の死刑を見物してよろこぶこの残酷さを、魯迅は怒りをもって告発したのだという。イギリスでも王族の斬首刑はロンドン中の見物人を集めたとかで、死刑見物における信じられないまでの残酷さは、洋の東西を問わないということか。