コーヒータイム

日々読んだ本を紹介しています。英語や中国語書も時々。面白そうだと感じる本があれば、ぜひあなたも読んでみてください!

シェエラザード(下) (浅田次郎著)

 

シェエラザード(下) (講談社文庫)

シェエラザード(下) (講談社文庫)

 

 

地政学は悪党の論理だ。その意味するところは、国家の望むものを獲得するためであれば戦争や殺戮を選ぶことにも迷いがない、クールで抜け目がない悪どさだ」

以前私が『悪の論理:地政学とは何か』を読んだ時に書いた感想だ。

この小説は吐き気がするほどにはっきりと、それを目の前に突きつけてくれる。

読みすすめるにつれて吐き気がますますひどくなる。弥勒丸をめぐる、およそ血の通った人間が思いつくものとは思えない思惑が明らかになるにつれて。シンガポールで弥勒丸が積みこむことになる黄金の出どころ、なぜ弥勒丸の乗務員数と犠牲者数には十倍もの開きがあるのか、なぜ弥勒丸は攻撃されねばならなかったのか、謎がひとつずつ明らかになるにつれてーー。

登場人物たちはみな聡明だ。気づかないほうがどんなに幸せであろうからくりを見抜きながら、軍命にさからえず、弥勒丸を最悪の運命に向かって押し出してしまった。そしてその結果、50年後に再会した相手に「辛い仕事をさせてしまった」と言葉にかけずにはいられないほどの苦悶を抱えこんで生きてきた。それぞれの思惑が明らかになるにつれて、宋英明が、人死にを出してまで弥勒丸を引き上げたかったことが、深く納得できてしまう。

太平洋戦争中だから、で片付く話ではない。シリア内戦、パレスチナロヒンギャ。「最悪の人道犯罪」はいまこの瞬間に起きていて、それはこの小説で描かれた弥勒丸の悲劇と同じように、政治的・宗教的メリットを得られるならば戦争や殺戮もいとわない人々が引き起こしている。これが現実だ、と、暗澹たる気分になってしまった。だがそれでも、題名「シェエラザード」が一度聞き出したら止まらなくなる美しい交響組曲であるように、読む手が止まらない傑作小説だ。