コーヒータイム

日々読んだ本の感想。時々日常。

『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』(西林克彦著)を読んだ

 

わかったつもり?読解力がつかない本当の原因? (光文社新書)

わかったつもり?読解力がつかない本当の原因? (光文社新書)

 

一読して「わかったつもり」になることがどれほど多いか、小学校の国語の教科書を使いながら教えてくれる面白い本。著者は、わからなければ調べようとするが、わかったつもりになればそれ以上深く読もうとしなくなるため、新しいことを身につけるチャンスを逃してしまったり、間違えて覚えてしまったりするという。

実は、よりよく読もうとするさいに、私たち読み手にとって最大の障害になるのが、自分自身の「わかった」という状態です。

著者は「スキーマ」という考え方を用いて説明をしている。あることがらに関する、私たちの中に既に存在しているひとまとまりの知識を、認知心理学では「スキーマ」と呼ぶ。このスキーマというものは読解では必要不可欠だ。たとえば「最初は歩くより走る方がいい」という文章があるとする。いきなりではなんのことだかわからないだろうが、これが「凧揚げ」のことだと知るととたんに凧揚げについてのスキーマが発動して「ああなるほど」と"わかる"。

このスキーマは強力だけれど、「わかったつもり」を引き起こす原因にもなる、というのが著者の主張だ。読み手が自分の持っている「ステレオタイプのスキーマ」を文章に簡単・粗雑に当てはめてしまうことで、間違った、不十分な読みになってしまうためだ。言葉尻を取りあげる人、一部分だけ見聞きして全体を知ったつもりになる人、自分に都合のいいようにしか理解しない人。そんな人に誰でも心当たりがあるのではないだろうか?

 

著者は「わかったつもり」の壊し方を紹介している。まず、結果を決めつけてしまう場合。

変化の過程が読み飛ばされていますから、それに対抗するためには、どこからどういう変化をしたのだろうという文脈で、文章を見直す手だてが有効なはずです。

次に、色々書いてあることの細部を思い出せない場合。

そのような場合には、事例やできごとに関して個別の特徴を浮き出させることが必要になってきます。

 

最後に、著者はとても大切なことを書き留めている。少し長いが引用しよう。

文脈の交換によって、新しい意味が引き出せるということは、その文脈を使わなければ、私たちにはその意味が見えなかっただろうということです。すなわち、私たちには、私たちが気に留め、それを使って積極的に問うたことしか見えないのです。それ以外のことは、「見えていない」とも思わないのです。この意味においても、探求は果てしないものであると考えて、できるだけ開かれた姿勢を保っておきたいものと思うのです。