コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

蒼穹の昴(浅田次郎著)

 

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)

  • 作者:浅田 次郎
  • 発売日: 2004/10/15
  • メディア: 文庫
 
蒼穹の昴(2) (講談社文庫)

蒼穹の昴(2) (講談社文庫)

  • 作者:浅田 次郎
  • 発売日: 2004/10/15
  • メディア: 文庫
 
蒼穹の昴(3) (講談社文庫)

蒼穹の昴(3) (講談社文庫)

  • 作者:浅田 次郎
  • 発売日: 2004/10/15
  • メディア: 文庫
 
蒼穹の昴(4) (講談社文庫)

蒼穹の昴(4) (講談社文庫)

  • 作者:浅田 次郎
  • 発売日: 2004/10/15
  • メディア: 文庫
 

面白い小説だ。黄砂舞うかつての北京の空気のにおいまで感じとれるような。時代を生きる王侯貴族や政治闘争を書く一方で、作者は丹念に、貧しき民衆達の姿をも書く。都を追われた老宦官達や、道端で餓死を待つばかりの流民達、大道芸人で幾ばくかの日銭を稼ぐ人達、西洋から七つの海を越えてやってきながら迫害された伝道師達。それこそがその時代の、真の姿であるから。

 

【1巻】
舞台は19世紀末、中国、清朝末期。「ラストエンペラー愛新覚羅溥儀の一代前である光緒帝が在位し、悪名高き西太后が政権を握っていたころ。

この時代、平民が立身出世する方法は二つ。科挙試験に合格して官僚として出仕するか、男性の生殖器を切り落として宦官(太監)として後宮に仕えるか。一般的に、高価な書物をそろえ、家庭教師をつける財力がある地方有力者の子弟は前者。貧しき者は後者を選ぶことになる。

 

小説の中に強烈な一場面がある。

暗闇のなかの石牢にぺたりと座りこむ少年。錫の水差しを抱えて、こちらに視線を向ける。

彼は宦官となる手術を受けたばかりだ。

生殖器を切り落としてすぐ尿道に白蝋の棒を入れ、三日三晩そのままにする。肉が盛り上がって尿道が閉ざされるのを防ぐためだ。三日三晩の間、水を飲んではならない。白蝋の棒が入った状態でおしっこすることはできず、外せば尿道は閉ざされ、いずれにしても残酷な死を迎えることになる。

少年は水差しを抱えていた。つまり、死ぬと分かりながら水を飲み、ただ死を待つばかり。

宦官になるとはそういうことだった。

 

この本の二人の主人公、天津直隷省静海県の地主の次男である梁文秀(リャン・ウェンシュウ)と、貧しき糞拾いの子、李春雲(リー・チュンユン、愛称は春児)にも、時代の規則はあてはまった。

二人は、かつて皇帝の居城・紫禁城で星占をすることを許されるほどの実力がありながら、先皇帝の早世を予言したがために都落ちを余儀なくされた老婆、白太太(バイ・タイタイ、バイは姓、タイタイは「奥方様」くらいの意味)に予言を受けた。文秀は天子の傍にありて天下の政を司ることを。春児は昴の星の守護を受け、やはり皇帝の側近く仕え、あまねく天下の財宝を手中に収めることを。

二人はその通りの道を歩み始める。文秀は科挙試験をトップで合格して紫禁城にあがる。春児は自宮(みずからの手で宦官となるための手術をすること)ののち、かつて紫禁城に仕えながらさまざまな理由で追い出され、肩寄せ合って暮らしている老いた宦官達と出会い、彼らから後宮で暮らすための掃除、料理、芝居稽古などを受けながら、機会をじっと待つところで、第1巻は終わる。

 

【2巻】

第2巻は、梁文秀が、同期からある伝説を聞くところから始まる。

頃は大清帝国建立期、後に皇族となる愛新覚羅氏が満州部族を征服して統一を目指していたころ。最後まで抵抗していたのは、葉赫那拉(イエホナラ)という部族であった。追い詰められた部族の長、布揚古(ブヤング)は、いまわの際に呪いの言葉を残す。葉赫那拉の女子が一人でも残れば、必ず愛新覚羅氏を滅ぼし、恨みを晴らすだろうと。

三代にわたり権力を握ってきた西太后は、その葉赫那拉氏の娘であるーー

 

西太后は歴史上ではまごうことなき悪役扱いだ。仇敵の東宮太后を手にかけ、夫の咸豊帝と息子の同治帝の在位時から事実上政権を支配し、甥にあたる光緒帝を軟禁の末ついには毒殺した希代の女傑。彼女の時代に清国は列強の侵略を許し、香港租借を余儀なくされ、国辱をなめさせられた。それもこれも西太后が近代化を拒み続け、腐敗しきっていた国家に力がなかったからだ、というのが現代の解釈だ。

だがこの小説での西太后はとてつもなく人間臭く、それこそがこの小説の大きな魅力だ。

小説の中で西太后は心許した幼馴染で元婚約者たる栄禄(こいつがまたこの上なく腹黒い)の前では少女のように「もういや!」と駄々をこね、食事がまずいと癇癪を起こし、心迷ったときは皇太后宮裏の花園の奥にある築山にこもり、独り亡き乾隆皇帝に「おじいちゃん」と語りかける。とても五十代の婦人とは思えない子どもっぽい本心の傍らで、彼女は乾隆皇帝から託された、大清帝国の断末魔を肩に負う宿命に押しつぶされそうになっていた。

(中国ではおそらくこんな書き方をする小説家はいないだろう。清国に代表される封建社会は、現政権をにぎる共産党が否定し続けてきた国家のあり方であり、その権化ともいえる西太后は悪役以外のなにものでもない)

 

一方乾隆皇帝だが、小説の中では彼こそが大清帝国衰退の原因をつくったとされる。はるか昔から代々天子に伝わり、真に天命ある者にだけ手にすることができる「龍玉」を乾隆皇帝がどこかに隠してしまったせいで、天命なき軟弱者が皇帝の位につくことになり、清国が徐々に衰退していったのだ。第2巻ではこの「龍玉」が小説全体のキーワードとなっていく。 

 

【3巻】

第3巻冒頭から、当時租界に住んでいた外国人達が登場する。主人公の梁文秀と春児だけではなく、小説はしだいに、動乱の時代に生きる人々の群像劇のようになっていく。

会津出身で天津に駐在しているジャーナリスト、岡圭之介は、ニューヨークタイムス特派員のトーマス・バートンと親しくしている。トムはニューヨークタイムスに西太后の記事を面白おかしく書き立て、悪女西太后のイメージを広めることに成功していた。

だが同じトムの口から、西太后は息子によく似た現皇帝光緒帝を母親として愛するひとりの女性にすぎず、光緒帝が忍びないからこそ政治に関わり続けているのであり、清の民は彼女を慈悲深い生き仏よと慕っているという真逆の現実が語られる。ならばなぜあんな記事を書いたと気色ばむ岡に、トムは「この国を植民地にしないためには、まず古い仏を倒ねばならない」と言い放つ。

 

第3巻のハイライトは、李鴻章がイギリス公使と香港租借について交渉するシーンだ。居並ぶイギリス公使達とジャーナリストを前にして李鴻章は高らかに宣言する。香港を九九年間租借してやろう、と。その宣言の真の意図をトムは見抜き、プレジデント・リーと呼ばれた李鴻章という人物に戦慄する。

 

【4巻】

清帝国の断末魔をのせて、登場人物それぞれの運命は疾走する。ついに政権から離れることを決心した西太后、古き国法を変えんと理想を燃やす康有為(カン・ヨウウェイ)とその同志、北洋軍を掌握した袁世凱(ユアン・シーカイ)。歴史上名を残した人物達が次々登場し、あるいは嘆きを、あるいは叫びをあげながら滅びゆく清国のさなかで生きる。主人公のひとり梁文秀は清国を離れて日本に亡命し、春児は西太后のそばにとどまる。

時代そのものの物語があまりにも濃く、そこにさらにフィクションを被せようというのだから、いささか急ぎ足で物語展開を進めなければならなかったような感じはある。天命ある天子のみが手にすることができるという龍玉も、最後まで昔話の中にしか登場せず、物語は続編を思わせるような終わり方をする。実際『蒼穹の昴』はシリーズ第1作であり、この後は『珍妃の井戸』『中原の虹』と続いていき、そこには本作の人々も再登場する。

 

第4巻まで読んできて、なんだか物足りないと感じた。

歴史小説の難しさは、結末がすでにわかっていることだ。だからその途中で小説の魅力を盛り上げなければならない。歴史上の人物の悲喜こもごもだったり、架空の人物を加えて盛り上げたり、といった工夫が必要になるだろう。

だけどこの小説では少し急ぎすぎていて、途中で歴史の教科書を読んでいる気がしてきた。もっと登場人物の心情を細やかに書きこんだほうが私は好きだ。とはいえこれでも充分面白い。