コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

烏に単は似合わない (阿部智里著)

途中でおもいきり世界をひっくり返された。

きらびやかな王朝絵巻の舞台を楽しんでいたら、半ばでいきなり舞台装置がすべて引き上げられ、鉄骨剥き出しの舞台裏に放り出されたような衝撃が後半でいきなり訪れた。

すべて読んだあと、ほんのりとした恐怖が残った。最終場面でのある人の言葉が空虚に響く。

「彼女らの幸せが、他人を不幸にするものではなかったら良かったのにと、そう思っている」

物語は荒削りだ。唐突な展開もある。だがなぜか目が離せなくなる。

 

物語は八咫烏の一族が支配する世界。金烏(きんう)と呼ばれる族長宗家が君臨し、東西南北の有力貴族の四家がそれぞれの領地を治めている。八咫烏らは人姿と鳥姿を取ることができるが、普段は人姿で暮らしており、身分高い者は一生鳥姿にならないことも珍しくない。

シリーズ第一作となるこの小説は、次期族長のお嫁探しから始まる。現族長には四家のうち南家出身の正室と、西家出身の側室(故人)がおり、側室の産んだ若宮が皇太子に立てられている。その妻を選ぶために、東西南北四家から四人の姫君が専用の屋敷・桜花宮に入ったーー。

四人の姫君はそれぞれに魅力的だ。東家からは病を得た姉の代わりに急遽選ばれた、音楽の才能に長けたあけび。南家からは男勝りな話し方でおよそ姫君らしくない浜木綿(はまゆう)。西家からは妖艶で織物の技術がすばらしい真赭の薄(ますほのすすき)。北家からは必ず入内しなければならないと気負う白珠(しらたま)。

物語はあけびとそのまわりの人々を中心にすすむ。人々が八咫烏に変身できることを除けば、広がるのは源氏物語の時代をベースにし、人間を人姿の八咫烏に変えただけにも見えるような、絢爛豪華な王朝絵巻だ。

だが途中から世界が一変する。文字通り。これまで見えていたものがどれほど脆弱で信用ならないものだったのか、突きつけられる。

 

技法としては「信用できない語り手」になるのだろうが、私は見事にひっかかって悔しい思いをした。そしてこういう人間(八咫烏だが)が実際にいるのだろうとぞっとした。自分はなにも悪くないと無邪気に思える人間。たとえ自分の行動がどんな結果をもたらしたとしても。

「私は、悪意が無ければ、全てが許されるのだと知っている者を決して許す事は出来ない」

最後まで読んでから最初から読み直すと、同じ文章からまったく違った物語が浮かびあがってくる。

 

前日読んだ『わかったつもり  読解力がつかない本当の理由』という本で、著者は「文脈の交換によって、新しい意味が引き出せるということは、その文脈を使わなければ、私たちにはその意味が見えなかっただろうということです」と述べているが、この小説はそれを見事にやってのけている。ある文脈が物語終盤まで読者の目から注意深く隠され、それが明らかになったとたんに物語全体が新しい意味に書きかえられる。見事だ。