コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

もの書きの気分の浮き沈み『ひとつずつ、ひとつずつ』

本を読むとき、私は考えてみることにしている。書き手はどんな人間で、どんな人生を送ってきて、なにを表現したくて書いたのか。書き手がどんな人間なのか読み取れるとまでは言わないが、少なくとも、書きたくてたまらないという熱意にはすぐに気づく。

読むことは他人の人生をちょっとだけ追体験させてもらうこと、という。反対に書くことは、自分の人生をちょっとずつ読者に分け与えること。分け与えるものはきれいにラッピングされていてもいいけれど、借り物だったり偽物だったりしてはならない。自分の人生から切り出した本物でなければならない。この本の書き手はこう表現する。

書くことの中心に、あなた自身とあなたが真実だとか正しいだとか信じられるものを据えなければいけない。中心にある強い信念にもとづく道徳的理念が、あなたがものを書くときに使う言葉になる。

本書の書き手、アン・ラモットは、父親がもの書きで、自分自身ももの書きである。この本はアン・ラモットがライティングコースで、作家になりたいと夢見る生徒たちに教えたことをまとめたもので、まさに作家としての体験を分け与えるために書かれた。

作家はなにを書くべきか?  このことについてアン・ラモットの答えは単純明快だ。真実を語ること。彼女が初めて出版した本は、ガンで余命宣告された父親について書いたものだった。ガン患者が前向きに生きる本をみつけられず、自分で書くことにしたのだった。その本は父親が世を去る前になんとか完成した。

道徳的理念は、昔から当然のように存在してきた。誰かの手でつくらなければいけないものではなさそうで、どの文化にもどの時代にも変わらぬ真実として通用するかのように考えられ存在してきた。そして、その真実を語るということが、作家の仕事というわけ。それ以外に作家の語るべきものなどないのだから。

とにかく書くこと、書きあげること。エージェントに原稿を送るときは自分が稀に見る大作家になった気がするし、友達に郵送した原稿の返信が半日ないだけで世界中が敵にまわった気分になる。それでも書きつづけること、と、この本の書き手はいう。

私は子どものころ、ノートに小さな童話を書くことを楽しんでいた時期がある。今ではすっかり書くことをしなくなった。いずれまた書き出すかもしれない。