コーヒータイム

日々読んだ本を紹介しています。英語や中国語書も時々。面白そうだと感じる本があれば、ぜひあなたも読んでみてください!

ユン・チアン《ワイルド・スワン》(中)

 

ワイルド・スワン(中) (講談社文庫)

ワイルド・スワン(中) (講談社文庫)

 

これは中国に生を受けた著者とその母親、祖母の人生を書いた真実の物語。中国現代社会に興味があるすべての人が手に取るべき本だ。

中巻では著者の少女時代に物語がうつる。1950年代から1960年代にかけて。この本は中国本土では出版禁止だが、この中巻を読めば理由の一端にふれられる。

 

1959年からの三年間を生きた年老いた中国人に、当時のことを聞くと、一様に顔色を変えて口が重くなるという。

中国には「三年自然災害」という言葉がある。1959-1961、三年間続いた大飢饉のことだ。正確な統計数字は存在しないが、数千万人が餓死したといわれる。その時代を生きた人々は例外なく、家族が、親戚が飢餓にあえぐのを見た。衰弱しきった人々が口に入るものを求めて幽鬼のごとくさまようのを見た。ついには人肉食に手をそめてまで餓死から逃れようとした人々の話を聞いた。

この悲劇は言葉通り自然災害のためというのが公式見解だが、中国国外の歴史家たちは、毛沢東の経済政策の失敗による人災と見るむきも少なくない。実際、この時代は「大躍進」と呼ばれる西側諸国に追いつけ追い越せの大運動が毛沢東主導で全国的に巻き起こっていたが、ノウハウも近代的な農業機械すらない状態でうまくいくはずもなく、むしろ農地を荒れさせた。一方で非現実的な「成果報告」(もちろん虚偽)をして、大躍進の成功を大々的にアピールすることが奨励、いや、事実上強制された。著者の言葉を借りればこういうことだ。

とほうもない作り話を他人にも自分自身にも吹きこみ、それを信じこむ、という愚行が国じゅうで行われた時期であった。

著者は当時まだ10歳にもならない少女で、父母が共産党高級幹部だったために飢餓から守られた。高級幹部専用のアパートメントに住み、外の世界でなにが行われているのか知らないことも多かった。だが著者の父親は見た。視察に赴いた農村で、痩せ衰えた人間が突然倒れて事切れるのを。このことは父親に強烈なショックを与え、共産党支配や自分自身の役割について、自省するきっかけになった。盲目的に信頼していた共産党とは、と、考えるきっかけはこのとき芽生えたのかもしれない。後日著者の父親は文化大革命のさなか、毛沢東を批判したために投獄され、狂気にむしばまれる。

毛沢東は宮廷政治における権謀術数を記録した数十巻にのぼる『資治通鑑』を愛読しており、他の指導者たちにもこれを読むよう勧めていた。実際、毛沢東の支配は中世の宮廷に置き換えて見るのがいちばん理解しやすい。

文化大革命」という言葉は、その時代を生きた中国人にとって、恐怖と惨劇と破壊と暴動と混乱を足して割らずに二乗するほどの意味をもつ。それこそが文化大革命の真の目的でもあったというのが著者の意見だ。文化大革命のさなか、紅衛兵という十代から二十代の若者を中心とし、毛沢東に絶対的忠誠を誓う組織が暴虐の限りを尽くしたが、彼らは毛沢東が妻江青を通して煽動した。これは権力闘争の一環だった。共産党そのものを事実上解体し、毛沢東ただひとりに権力を集中させるために。

人民を思い通りに動かそうとするならば、党から権威を奪い、毛沢東ただひとりに対する絶対的な忠誠と服従を確立しなければならない。そのためには恐怖という手段が必要だ。それも、あらゆる思考を停止させあらゆる懸念を押しつぶすような戦慄に近い恐怖が必要だ。毛沢東の目には、十代から二十代はじめの若者が格好の道具と映った。

血気盛んな若者たちが大義名分や個人的恨みのために、批判してもよいと言われた教師や知識人たちになにをしたか、両親の身体がどのように殴打や拷問にさらされたか、精神が、尊厳が、どのようにふみにじられたか、身の毛のよだつような体験を、著者は冷静さを失わない文章でつづる。

けれどもこれを書き上げるために著者はどれほどの夜を涙で明かしたことだろう。文章が感情的にならないようにどれほど自制心をきかせなくてはならなかっただろう。それでも著者の押し殺された慟哭が、それが文章の間から血臭のように匂い立つのを感じる。

 

迫力ある文章は、書き手が血の滲むような経験を、さらに追体験することで生まれる。

これまで私が読んだ中で、最も痛々しい文章を書くのは作家の柳美里さんだが、ユン・チアンはそれに勝るとも劣らない。

命

 

文化大革命の混乱と破壊の中で、どんなに痛めつけられようとも尊厳を失わず、信念を貫こうとする両親の姿を抉るように書いて、中巻は終わる。