コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

兄と、弟と、父親の陰《熊と踊れ》

いつも参考にさせていただいているブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」の中の人が選ぶ極上の犯罪小説《熊と踊れ》を読んでみた。

極上の犯罪小説『熊と踊れ』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

 

この本はただの犯罪小説ではない。1990年代初頭にスウェーデンで実際に起きた連続強盗事件が背景にある。

正体不明の強盗団は、軍事作戦にも思える統率のとれたやり方から"軍人ギャング"と称された。彼らがついに逮捕されてみると、誰もが仰天したーー中心となっていたのは二十歳前後の三兄弟とその友人達で、前科もなければ裏社会とのつながりもないと判明したから。

著者のひとり、ステファン・トゥンベリは、逮捕された三兄弟の実の兄弟である。年齢でいえば次男。

兄弟が強盗を計画していることを彼は知っていた。強奪された軍用銃の隠し場所や紙幣を見た。兄弟が逮捕されたあと、彼は二年の歳月をかけて、共著者アンデシュ・ルースルンドに語った。二人は時間をかけて実際の出来事を練り直し、小説として書き上げた。

この意味では、この本は完全なる犯罪小説ではない。ステファン・トゥンベリにとってはある意味で家族史であり、スウェーデンの人々にとってはある意味でノンフィクション。銀行強盗を実行する場面では、断片的と言えるほどに描写は控えめである。だが、スウェーデンの読み手にとっては、充分すぎるのだろう。

 

小説は、父親が三兄弟ーーレオ、フェリックス、ヴィンセント(小説には登場しないが、ステファン・トゥンベリはレオのすぐ下)ーーが母親と暮らすアパートを訪れる場面から始まる。奇妙なことに、そこには「匂い」がある。誰かがドアを開け、入ってきた父親が母親を殴り倒す。家庭内暴力で家族から引き離された父親は、暴力を抑えることができない。

場面が変わり、成長したレオが、動員用武器庫から軍用銃を盗み出そうと息をひそめる。レオは父親から学んだ「過剰な暴力」と「恐怖」を使いこなすようになっていた。父親のように過剰な暴力におぼれるのではなく、利用する。

かつてレオが幼かったころ、いじめられていたレオに父親は人を殴る方法を教えた。父親はそれを「熊のダンス」にたとえた。

これはな……熊のダンスだ、レオ。いちばんでかい熊を狙って、そいつの鼻面を殴ってやれば、ほかの連中は逃げ出す。ステップを踏んで、殴る。ステップを踏んで、殴る!

 

長兄レオが揺るぎなく中心に立ち、弟達と幼馴染のヤスペルを束ねる。武器庫襲撃や銀行強盗の計画は練りに練って、練習は念入りに。成功するたびに祝杯をあげ、計画通りに行かなかったことがあれば次に生かす。まさに軍事作戦だ。

わたしは、読んでいてとても哀しくなった。

レオがしていることは、根源的なところで、家庭内暴力におぼれた父親の記憶から逃れようとするために思えたから。父親にできなかったことを自分はやってのけられる、それを証明することがレオの行動目的の一つに思えたから。だからフェリックスに怒鳴られても、父親と連絡せずにはいられない。もちろん銀行強盗のことなどおくびにも出さないが、自分はうまくやっている、金儲けをしていると、ほのめかさずにはいられない。もっとうまくやろうと銀行強盗計画を練り直し、実行時間をカウントしながらも、父親の陰は常にレオの心にあるよう。

崩壊家庭に育った子どもたちの心理的影響が、共感を呼び起こすから、読み進めるのが辛くなる。なぜ暴力をふるう方向に行くの、と、心の中で叫びながら、それでもわたしは小説から目を離すことができない。それを許さないだけの筆力が、小説をぐいぐい先に読ませる。