コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

少年の成長する音『風の海 迷宮の岸』

小野不由美先生の十二国記シリーズはかねてより好きだ。

さまざまな人々が登場する群像劇だが、中心となるのは二人。そのうち中嶋陽子の物語は読破したものの、もうひとり、高里要の物語はきちんと読んでいなかった。

12月に入り、本編最終作となるはずの原稿が小野不由美先生より講談社に出されたと聞いた。刊行は2019年中。舞台は〈戴極国〉という。となれば高里要が中心になるはずなので、予習のためにこれまでの物語を読み返すことにした。

高里要の物語は、本来なら本書『風の海 迷宮の岸』の前に『魔性の子』があるのだが、「異端」とみなされた主人公がしだいに地域社会から排斥されていく物語は、重苦しく、精神的にきついため、後回し。

 

十二国は地球ではない異界。雰囲気としては古代中国に近い。しかし、ごくまれにあちらとこちらが「混ざる」ことがあり、天変地異(湖の底が盛りあがって跡形もなくなるなど)とともに、人々が巻きこまれてもう一方の世界に飛ばされることがある。高里要もその一人。十二国の〈黄海〉に生まれ落ちるはずが、現代日本に飛ばされた。本来ならば二度と戻れないが、彼は特別だった。人ではなく、麒麟だったのである。

麒麟は神獣。十二国、一国につき一人の王がおり、麒麟は天啓を受けて王を選ぶ役目をもつ。彼は10歳前後の頃、十二国の一、〈戴極国〉の王を選び、王に仕えるべく呼び戻された。

けれど、呼び戻された高里要ーー麒麟としての名前は泰麒ーーは戸惑うばかりだった。もといた世界でまわりにうまく馴染めなかったのは、自分がもともと異界生まれだと思えば案外すんなり納得できたのだが、王を選ぶにはどうすればいいかわからないし、麒麟の姿に転変することもできない。なにもできず、なにもわからないまま、自分に求められることにただ困惑するばかりだった。

 

本書は高里要が泰麒として〈戴極国〉の王を見つけ、王が即位するまでを描く物語である。まだ小さい子供でしかない泰麒が、一生懸命にまわりの人々の期待に応えようとするあまり、必死に背伸びし、時になにもできない自分自身を否定してしまうのは、見ていて痛々しい。神獣としてよりも、無力な、思春期前の男の子としてしか見ることができない。

悩み抜いて王を選び、ようやく役目を果たすことができたとほっとするところまで、著者は丁寧に泰麒の心理的葛藤と成長を描写する。読み終えたとき、わたしは知らずつめていた息を吐いたがーー泰麒の過酷な運命は、王を選んだ後にこそ始まる。

小野不由美先生は、十二国記シリーズで「生きることの難しさ」を書こうとしているという。苦しみ、悩み、選び、学び、生きる。泰麒の心理過程は、まさにこれに沿っている。生き悩んだ思春期前後の子供に、読んでほしい一冊だ。