コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

みずからの力で生き残れ『日本人の働き方の9割がヤバい件について』

本書の著者はめいろま(めいろま@May_Roma)の名前でツイッターご意見番として名を馳せ、バックパッカー、国連職員、国際結婚などの豊富な海外体験をもとに「ここが変わらなければならないよ日本人」についてインターネットで発信し続けている。

わたしが初めてめいろま氏のツイートに触れたきっかけは忘れてしまったが、意見に説得力があり、気になったのでフォローした。最近あふれかえっている日本人スゴイ系の記事や本やテレビ番組に違和感を覚えていたところだったので、めいろま氏の「世界からは日本人はこう見られている」ツイートが面白く感じられた。彼女のツイートは、英国事情、英語学習、世界から見た日本を知るためによく参考にしている。

めいろま氏は谷本真由美名義で多くの本を書いており、これはそのうちの一冊。

 

電通の高橋まつりさん過労自殺事件をはじめとする度重なる過労死や過労自殺報道、労働時間は長いのに生産性は先進国の中でも低い件など、日本の働き方がおかしいことはとうに明らかになっていると思う。それについて問題提起している識者も数多い。なのに一方で高度プロフェッショナル制度が成立したように、政府・経済界はむしろ労働時間延長を推進している。

著者はそれを問題視した。

日本が直面する経済環境や、世界の情勢は大きく変化しているのにもかかわらず、日本人の働き方は、高度成長期の頃とほとんど変わっていません。

すでに時代が変化しているにもかかわらず、過去の栄光や成功体験にしがみついて、自分自身が変化することを拒むというのは、個人レベルでは実によくある心理活動だけれど、それを国レベルでやっているのが日本ではないだろうか、と、わたしは考えることがある。

日本は「仕組み」よりも「人」のせいにすることが多いとよく言われる。しかし、ビジネスの世界では、もうけるための仕組み=ビジネスモデルをつくった時点で会社組織はかなりの部分が決まる。なぜならビジネスモデルを遂行するのに最も適した組織形態にしなければならないから、という意見もある。わたしはこちらに賛成だ。

上司に評価されることばかりを熱心にやり、そうでないことは事実上無視する人をさんざん見聞きした。なにをしたいかが決まれば仕組みが決まり、仕組みが決まれば評価制度が決まり、その中にいる人間に求められることが決まる。逆に言えば、この時点で人間にできることには制限がつく。求められることはどんどんやるし、求められないことは得にならないからやらない。「求められること」がおかしければ、その中にいる人間もまたおかしくなるのはあたりまえ。

働き方はそのひとつ。高度経済成長期に終身雇用制度や長時間労働があったから、それを【成功体験】だと勘違いしてしまった。同じやり方をすればいまの経済衰退も良くなるに違いない、と、誰もが思いこんでしまった。けれどゲームルールはすでに変化していて、これまでのやり方では通用しない。歴史上、鉄砲伝来が戦のやり方を根本的に変えてしまったように、飛び道具相手にどんなに日本刀の一騎討ち技術を磨いても、もう役にはたたない。

そもそも長時間労働だって、高度経済成長期に役立ったかもしれないけれど、それだけで経済成長できたわけではない。著者は明快に言い切る。

日本の成功は、当時の資源価格や国際政治、金融政策、特許技術の購入のしやすさ、新技術の導入、海外の最新技術や知識の導入、地道な品質改善活動、教育改革、さらに歴史的なタイミングなど、様々な要素が絡み合っていたから可能だっただけであり、「日本人の働き方」は成功要因の一つにすぎなかったのです。

 

これからは正社員雇用でさえ安定しているとはいえない、それは世界的な流れであり、日本ももちろん例外ではない。自分のスキルが労働市場でいくらで売れるかが重要。著者はこれを「働く人の自分商店化」と呼ぶ。

今後仕事を選ぶ際に重要になることに 「市場で評価されるかどうか」があります。...仕事の報酬というのは、基本的に、需要と供給で決まります。

働く人の自分商店化は、 50年前の状態に回帰しただけであり、そもそも、終身雇用や働く人の多くが、正社員として、新卒で一括採用される仕組みの方が異常であった、ということがいえるでしょう。たかだか50年程度しか歴史のない仕組みが、「日本固有の雇用体系」といえるかどうかは疑わしいですし、戦後の高度成長期の産業構造に合わせて、最適化された雇用体系にすぎなかったというわけです。

それはとりもなおさず、能力が低くても正社員にしがみついていればそれなりの収入が保証されてきた層が、今後、貧困層に転落するかもしれないことを意味する。実力主義の行き着く先は貧富格差拡大だから。

貧富格差是正のためにこれまで人類はさんざん努力してきたではないか、その努力が無駄になるというのか、と反論されそうだけれど、結局資本主義とはそういうものであり、対価に見合うサービスを提供できなければ淘汰される弱肉強食の世界なのだ。慣れあいだの分け合いだの(生活保護などのセーフティネット)で落ちこぼれた人が餓死しないようにすることはできるし、その取組み自体は素晴らしいけれど、社会全体でみれば残念ながら少数派。経済的余裕がなくなればまっさきにセーフティネットが「仕分け」対象になるのが、イギリスであり、日本なのだと思う。

結局のところ、みずからの力で生き残れ、という真理に立ち戻っている。読み終えたとき、そんな気がした。