コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

父と娘の介護記録『週末介護』

岸本葉子さんは「やわらかく知的なエッセイを書くひと」といわれるけれど、大賛成である。彼女の本を最初に読んだのは、『はたらくわたし』というエッセイストの仕事日記だったが、肩肘張らない、無駄に力が入っていない、やわらかい雰囲気の文章がとても好きになった。ひだまりという言葉が、しっくりくる。

そんな岸本葉子さんが書いた、五年間にわたる父親の介護経験が本書。母親はすでに亡くなっている。父親の身体能力が衰え始め、認知症がすすみ始めたころ、兄と姉に加えて在宅仕事の自分自身が介護をすることに決めた。自宅付近に三十年ローンでオートロックマンションを購入し、そこに父親を移してから最期を看取るまでを、やわらかい雰囲気を失わない文章で綴る。

わたしにとって親の介護はいつかはやってくることであり、そのためにも今から、何が起こるのかを知っておきたいと思った。そのために選んだ本だったが、内容は期待以上だった。

身体的機能が衰え、トイレに入ってからズボンを下ろすのに手間取るうちに間に合わなくなったり、ベッドから身を起こすためにお腹に力を入れるだけで排泄することがあること。時間的感覚がなくなり、夜中起きることがないよう就寝前にトイレに行っておくなどの発想ができなくなること。その前に夜は就寝するものという考えがなくなること。本人はわけがわからないなりにも役に立ちたい、迷惑をかけたくない、もしかしたらおかしなことを言っているかもしれないという考えや感情があって、手伝いたがること。介護者の感情活動に鏡のように反応すること。洗濯物とゴミがおそろしい量になり、匂いがとれにくくなること。言葉がどんどん短くなり、ついには不明瞭なうめき声や鸚鵡返しばかりになること。

介護とはどんなものか、学ぶにはとてもよい経験談だ。エッセイストという仕事柄、よくまとまっていてまるで情景が浮かぶようだし、それでいて、夕暮れのやわらかい陽光のような文章の雰囲気は変わらず、深刻になりすぎない筆運びに救われてもいる。

いつかわたしの両親も要介護になるだろう。そのときわたしは親の変化に戸惑い、なかなか受け入れられないかもしれない。なにが待ち受けているかを知り、覚悟を決めるためにも、よい本だ。