コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

優等生が見た世界《車輪の下で》

子どものころ、この本を手に取ったことがある。小学生向けにやさしく書き直された児童文学だった。だが、少し読んだだけでやめてしまった。重苦しい雰囲気が好きになれなかった。

大人になって、最後まで読み通せるようになった。ドイツ文学ならではの抑揚のきいた哲学的描写、美しい自然描写を楽しめるようになった。だが、主人公ハンス・ギーベンラートのことについては、やはりよく理解できなかった。

ハンスは小さな町に住む仲介人の父親のもとに生まれた「疑いなく才能に恵まれた子ども」だった。ほかの子どもたちは初等教育を終えたら職人に弟子入りして働き始めるのが一般的だったが、ハンスは将来を期待され、子どもらしい遊び時間を犠牲にして勉強し、州の神学校に合格した。だが神学校で彼はさまざまな学生と交わる中、意識しないままにしだいに変わり始めた。やがて授業についていけなくなり、精神衰弱に陥り、ハンスは帰郷を余儀なくされたーー

繊細な青春期の少年が、ささやかなエリートコースを歩みきれず、自殺願望にとりつかれるまでになるのは痛々しく、同時に、なぜこんなにも追い詰められるのかと不思議に思える。成績が悪いからなんだ、淡い初恋が破れたからなんだ、人生はもっと起伏が激しいものだし、楽しいことも苦しいこともまだまだこれからだと。

そう思うことこそが、わたしがもう青春時代の感じ方を忘れてしまったなによりの証かもしれない。

あの頃は学校、受験、クラスメイトのことばかり考えていた。いずれ世に出て働くのだということは想像の彼方にあった。受験勉強は気が滅入るものだったし、少々神経質になるのはいつものことだった。だが、終わってみれば、「社会に出てみればあんなのたいしたことなかったと分かるよ」などと、かつての自分が一番聞きたがらなかったことを本心から言うようになった。

車輪の下で》は、かつての青春時代をかいま思い起こさせてくれる。受験勉強真っ只中だという学生が読めば気が滅入って、読み通せなかったり、自分のやってきたことを見直したくなったりするかもしれない。この小説を最後まで読み通せるようになったとき、エリートコースの優等生たちは大人になるのだろう。