コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

美味しいお刺身盛合せのような物語『県庁おもてなし課』

県庁観光振興部おもてなし課。高知県庁に実在する課である。

この小説は、おもてなし課に所属する主人公・掛水和貴と、掛水の誘いでおもてなし課に加わることになった明神多紀の淡い恋愛を中心に、おもてなし課が高知県観光を盛り上げようと悪戦苦闘する物語。

 

ーーというが、よくもここまでお役所の硬直性と前例崇拝と事なかれ主義をギッタギッタに容赦なく書いたなあ、と、感心してしまう小説。

そもそも小説の誕生のきっかけが、著者・有川浩さん本人の「いきなりイベントで県庁関係者から『高知県出身のよしみで観光特使をしてくれませんか、観光名所をアピールする名刺を配ってくれませんか』と頼まれたものの、そこから一ヶ月音沙汰なしで、てっきり話が流れたと思っていたら、まさかの名刺作りの真っ最中だった」という実体験である。

呆れ果てた有川浩さんだったが、おもてなし課担当者がわざわざ講演会に参加してくるなどの熱意は認めて「格好良く書きません。ギッタギッタにしますよ」と宣言したうえで、この小説を書き始めたという。一ヶ月音沙汰なしで放置されたエピソードとそれへの抗議は、小説の冒頭で作家・吉門喬介の口を借りてしっかり書きこまれている。

 

とはいうものの、この小説は、高知県観光名所ガイドとしても結構参考になる。

三百年の歴史をもつ高知城下町の日曜市を散策するシーンでは、多紀と一緒にイモ天が売られていないことを残念がってしまうし、吾川スカイパークでのパラグライダー体験では掛水と一緒に爽快感全開の空の旅を楽しみ、村全体をブランド化することに成功した馬路村での一泊二日旅行では、珍しい川魚の刺身の味、名産品のゆずの香りを想像してしまう。

さまざまな観光名所を小説で読んでいるうちに「これを生かせていないなんて勿体ない!」という気持ちになってくる。気分はすっかりおもてなし課の一員だ。

 

有川浩さんの小説は、結末こそ前向きなものにもっていくけれど、そこに至るまでに一切情け容赦がない。登場人物がいきなり都合良く心変わりしたりしないし、現状がドラマティックに変わったりもしない。

人間、本心から考え方を変えるにはそれだけの理由が必要で、たいていは現実に打ちのめされ、もがいてあがいて現実逃避して、それでも自分が間違っていたと認めざるを得ない状況に追いこまれて、ようやく考え方を変えることができる。有川浩さんはそこを省略せず書く。だから登場人物の成長に説得力がある。そこがたまらなく好きだ。

もうひとつ好きなのは、見慣れているはずの現実に「こういう見方もあるのか!」と膝を打ちたくなるような視点を示してくれることだ。爽快感と解放感がすばらしい。

この小説の肝のひとつに「高知県民は自分たちが持っているものを『見慣れている』と気に留めずにいて、観光資源としてどれだけ価値があるか分からない」ということがあるが、これは人間なら誰でもはまる罠だ。

小説自体からは少し外れてしまうけれど、ここ最近の国際問題など見ていると、この一文に思わずほろりときてしまう。

全ての業務にマニュアルがあり、即応性を求められる事柄も手続き論で停滞する。それは、手続きで縛らなくては信用できたいという前提を背負わされているからだ。

つまり、役所のシステムにはそこで働く者の堕落が織り込まれている。お前たちは堕落する者だと最初から決め打ちされたシステムの中で、能力を発揮できる人間がどれだけいるだろうか。

ーーこの一言が出てくる国家がどれだけあるか。このシステムが硬直性と引き換えにどれだけ国民を守っているか。小説の中では高知県県庁関係者の硬直性を批判するものとして出てきた言葉だが、この一言が出てくるだけで、とても恵まれている。

 

高知の観光名所と、お役所あるあると、それを変えようとする若者の成長と、じれったくもほろ苦い恋愛物語。

高知名物のカツオをメインにした刺身盛り合わせのように、さまざまな美味しさを盛りこんだ一冊を、どうぞ召し上がれ。