コーヒータイム

日々読んだ本を紹介しています。英語や中国語書も時々。面白そうだと感じる本があれば、ぜひあなたも読んでみてください!

[テーマ読書]革命とそれに続く権力闘争はなぜ面白いか

投稿記事が300記事を超えたので、思いつきで、あるテーマについて本を複数(5冊以内)選び、きっちり読書したあと、自分なりに考えたことをまとめる遊びをしてみることにしました。

大学時代の小論文みたいなものだけれど、遊びだから出来不出来は気にしないし、気になるテーマについて読む本だから楽しいものです。

今回のテーマは明治維新にしようと思いましたが、色々読んでいるうちにそれに収まらなくなり、結局「革命とそれに続く権力闘争」になりました。

 

革命とは、ときの王朝や中央政府が倒され、次の王朝や中央政府が立つことをいいます。

近代王朝はたいていある特定の一族に支配されますが、その一族から別の一族に権力が渡ることが、革命の特徴です。

いつの時代でもどの国でも、数百年続いた政府(明治維新でいうなら江戸幕府)が倒れれば、強力な治世方針を掲げた次のリーダーが政権を握り、落ちついて国作りをはじめるまでには十数年から数十年かかるものです。

この間、力ある者が次々と現れます。自分こそ次のリーダーだと野心を滾らせ、政治的・軍事的味方を増やし、ときには外国政府にバックアップを頼み、ライバルを蹴散らして権力をにぎることに全力を注ぎます。

権力をにぎる方法はいろいろあります。日本であれば、天皇より執政権を授けられて幕府や政府を開くことでしょう。お隣中国では、皇帝を殺すなり捕らえるなりして、自分自身が次の皇帝だと名乗りをあげるでしょう。ヨーロッパであれば、王族と婚姻関係を結ぶという手もあるかもしれません。民主国家であれば、選挙を経て選ばれた人物が大統領になるでしょう。

その過程で、熾烈な権謀術数や同盟や裏切りが渦巻きます。これが面白いのです。

 

政権交代は現代でもよく起こりますが、なぜ革命とそれに続く権力闘争が格別に面白いのでしょうか。

それは「誰もが次のリーダーになれる可能性がある」ことに尽きます。

平和な時代での政権交代であれば、国王からその息子に、ある政党の代表から別の政党の代表にリーダーが交代するだけであり、それほどの意外性はありません。しかし革命期であれば、たとえばナポレオン・ボナパルトのようなそれまでまったくの無名だった人間が、いきなり歴史の表舞台に躍り出て大暴れするのです。

ルールをつくる王侯貴族や中央政府を打倒するのがそもそもの目的なのですから、従うべきルールなどないも同然、よほど人道的に許されないことでなければなんでもありです。たまにそこまでやっちゃう人もいますが、権力をにぎった後で記録抹消するという手をうまく使えば後には残りません。(目撃者の口に扉は立てられませんが、公式記録がなければ被害規模の推定はできませんので、いくらでも言いたいことを言えます)

このような状況下では、人間の欲望、権謀術数、破壊願望、裏切りがむきだしになり、人間というものを赤裸々に見ることができます。

これをひもとくのが面白いのです。運悪くその時代のその国に生きていなければ、ですが。

 

革命のプロセスを見てみましょう。

まずは現政権が「いまの世にふさわしくない」ことを、こじつけでもなんでもいいので世に知らせる必要があります。昔は口コミ頼りでしたが、今ならインターネットで拡散させればあっというまですね。ただし、賛同してくれる一般市民がたくさんいなければならないので、世が乱れているときを狙うべきでしょう。

いちばんいいのは、外敵(黒船とか列強とか国難レベルの天災とか)が迫っているのに現政権が手をこまねいているだけでなにも有効な手を打てていない、と声高に叫ぶことですね。黒船や列強の場合は、売国奴とか非国民とかの罵倒をつけることができるのでなお効果的です。江戸時代でも尊皇攘夷はスローガンとして多用されました。

 

世論を味方につけると同時に、経済力に裏打ちされた軍事力増強に力を入れます。

自己資金ではとても足りなければ、スポンサーを探すべきでしょう。こいつこそ次代を担うリーダーだと思えば、恩を売っておくために資金を出す富豪は見つかるでしょう。

正義は我にありと叫んで軍隊を集めるのもいいのですが、すでにある軍隊を利用することができればいうことはありません。寄せ集めの軍隊では規律をたたきこむのも軍事訓練をするのも時間が足りませんし、実戦経験があるのとないのとでは大違いです。ですが、正義のもとに集結した人々は、「大義のためなら命をささげることも惜しむべきではない、むしろ栄光の犠牲こそが求められるのだ」と洗脳しておけば、ときに想像もしなかったような大活躍をします。近代の宗教戦争イデオロギー戦争はこのまんまです。

場合によっては外国政府のバックアップを取りつけて、軍事専門家や武器を得るのもありです。中国共産党の黎明期には、世界に共産主義を広めんとするソ連の多大な支援がありましたし、アメリカは現在でもさまざまな国家の反政府活動を支援しています。ただしこの場合、後で外国政府に良いように支配されて半植民地化されないために、手を切れるよう準備を怠ってはなりません。

 

軍事力を増強したらいよいよ挙兵です。

飴と鞭を使い分けるために、挙兵の準備をする一方で、坂本龍馬のような大志を抱いた熱血青年に政府を説得させて大政奉還をさせるということもできるかもしれません。

そうでなければ全面戦争です。現政権のトップである皇帝なり将軍なりを捕らえた者勝ちです。現政権内部に裏切り者を育てておいて、無血開城させるのがいちばんいいのですが、それが難しければ実力突破でしょう。

 

さあ、トップを捕らえるか殺すことに成功しました。自分こそは次代の支配者だと名乗りをあげることができました。ここまでで、先の支配者一族を追い落としたことになりますから、革命は成功したといえるでしょう。

しかし本当の勝負はこれからです。

中国には「狡兎死して走狗烹らる」という言葉があります。兎を捕まえる猟犬は、獲物である兎がいなくなれば用無しになり、煮て食われることから、敵国が滅びると、敵国打倒に力を尽くした功臣であっても皇帝に殺されるというたとえです。なぜ殺されるかというと、軍事力も人望も自分より優れている部下は、まだ玉座についたばかりの皇帝には目障りを通りこして脅威に映るからです。

こういう目にあうことを歴史から学んだ人々は、仕える相手は慎重に選びます。なんなら殺される前に主君の寝首をかいてやろうという者も現れるかもしれません。

そうさせないために、主君側も功臣にはふんだんにご褒美を用意する必要があります。高い地位、広い領地、前政権がためこんでいた金銀財宝。あまり力をつけられては困るのでやりすぎない程度に、しかし主君を裏切ってやろうという気を起こさせない程度に、繊細なバランスをとる必要があります。油断させられてから、理由をでっちあげて一族郎党皆殺しにされた功臣もいるでしょう。政権闘争を起こされて派閥ごと抹殺されることも、考えられなくはありません。

反乱をおこしたかつての臣下が、国の一部を支配してしまうこともあります。群雄割拠、内戦の始まりです。

全国統一するまでに長く苦しい内戦を強いられることもあれば、意外に短期決戦で終わることもあります。狡猾な者が臣下や同盟相手の中にいて、主君や同盟のリーダーをそそのかして打倒政権に全力を出させる一方、自分も頑張っているふりをして軍事力を温存しておいた場合などがそれです。現政権が倒れ、リーダーが疲労困憊して気が緩んだ瞬間を狙って、そいつを殺すなり国外追放するなりして、成果をまるごとかすめとることができます。

これを成功させるのは相当権謀術数に長けていなければなりませんが、歴史上成功例がないわけではありません。多分誰もが「織田がつき  羽柴がこねし天下餅  座りしままに食うは徳川」という風刺を聞いたことがあるでしょう。徳川は最初からそれを狙っていたというよりも、結果的にそうなったという印象が強いですが、秀吉の天下統一後に成果を奪ったことに変わりはありません。

革命に続く権力闘争は、このようにどろどろしながらすすみます。ある一族のもとに権力が集中し、政権が落ちつくまでには相当な時間がかかるでしょう。たいていは革命実行者たちの子供世代や孫世代になってようやく落ちつき、次の政権が幕を開けることになります。

 

こうしたどろどろな人間関係は、時代が古ければ古いほど、ひもとくことが難しくなります。「歴史は勝者によってつくられる」という言葉があります。生き残って権力をにぎった者が正史を書く権利を手にして、ライバルをけちょんけちょんにけなし、都合の悪い事実は書かなかったり嘘で塗りかためたりして、自分こそリーダーにふさわしかったのだと後世に伝えるからです。

ですが、近代になればなるほど、当時の資料が多くなり、ライバル側の言い分が残る可能性が高くなります。なにが起こったのか、全体像をつかめるようになります。

革命とそれに続く権力闘争をひもとくことの醍醐味はここにあります。最終的に新しい政権を起こし、そのトップの座についた者はどのように権力を手にしたのか。公式記録に書かれたこと、書かれなかったこと、ねじ曲げられて解釈されたこと。その裏を読むのです。

たとえば「この戦に勝ったのは自軍のおかげだ、友軍もまあ多少は役に立った」と正史にあるとしましょう。ですが、別の記録で、友軍扱いされた軍勢の規模が実はずっと大きかったことがわかったりします。

とくに客観的数字を使うのではなく「我が軍優勢で」「多大な貢献をして」などとやたら主観的に書いていれば、実際にはそうでもない功績を誇張している可能性がでてきます。

ライバル側の記録からそれをひもとくのは、ミステリー小説のような謎解きをするわくわくさがあります。これこそが、私が革命とそれに続く権力闘争の歴史をひもとくことに大きな魅力を感じる理由です。

ときには正史以外の記録が入手困難だったり、ときには権力にとりつかれた人間の醜さに目を覆いたくなることもありますが、ここにこそもっとも原始的な、真社会性動物としての人間の本質が、真実の姿がある。そう確信して、謎解きをすすめていきます。