コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

長いマラソンを走り抜けよう “Maximize Your Child’s Bilingual Ability”

 

Maximize Your Child's Bilingual Ability: Ideas and inspiration for even greater success and joy raising bilingual kids

Maximize Your Child's Bilingual Ability: Ideas and inspiration for even greater success and joy raising bilingual kids

 

英語がペラペラになりたいと願う人は多いだろう。自分だけでなく自分の子どもにそうなってほしい親もたくさんいるだろう。国際結婚しているカップルにとっては、子どもの言語教育はとても重要なことのひとつだ。子ども父方または母方の親戚とコミュニケーションがとれないとなれば、あまりにも残念だから。

私がこれまで見た中で、一番上手にこの課題をクリアしていたのは、休日の電車の中でたまたま見かけたご家族だ。小学生くらいの子どもを連れたご家族で、父親は白人、母親は日本人のようだった。子どもは絶え間なくおしゃべりをしていたが、父親に話しかけるときは英語で、母親に話しかけるときは一瞬で日本語に切り替えていた。どちらもみごとな発音で、どう聞いてもネイティブそのものだった。

一方で、私の知り合いに、父親が日本人、母親が中国人という家族がいるが、子どもは日本語は完璧に操れるものの、中国語は聞いてわかるだけで話せないそうだ。おかげで母方の親戚づきあいにかなり苦労しているという。コミュニケーションがとれないのだから、距離ができてしまうのは無理もない。

 

どうすれば子どもをバイリンガルに育てられるだろう?  それを解き明かそうとしたのがこの本だ。

著者は教育職についているアメリカ人で、日本人の妻がおり、広島県に定住して娘と息子を育てている。在宅仕事をしているおかげで、著者は娘や息子の言語教育に積極的にかかわり、その効果をつぶさに観察できている。自身の経験を教育関係の専門知識とかけあわせて、まとめたのがこの本だ。私は英語原文で読んだけれど、非常にわかりやすく書かれているため、おすすめだ。

 

本書は二部に分かれる。前半でバイリンガルの子どもを育てるにあたって必要となる考え方を、後半で具体的なやり方を紹介している。

前半で強調していることは、「バイリンガルの子どもを育てることは、穀物を栽培すること、あるいは長いマラソンを走ることにたとえられる」ということだ。短期間で成果が出ることはまずない。毎日の小さな積み重ねを辛抱強く行うことで、子どもの心の中に言葉が貯められていき、やがて言葉を自分から使えるようになる。それまでにあきらめれば試合終了だ。子どもはあっというまに日本語しか話さなくなるだろう。

Above all, the bilingual journey is a test of spirit, a marathon that demands daily persistence and long-term endurance.

ーーバイリンガルの子どもを育てる旅は、魂の試練であり、毎日の粘り強さや長期間にわたる忍耐を必要とするマラソンなのである。

バイリンガルの子どもを育てるにあたり、著者はとてもシンプルに考え方をまとめている。

EXPOSURE + NEED = BILINGUAL ABILITY

これだけだ。

毎日どれだけの言葉を聞いているか、それに加えて、その言葉を使う必要性がどれだけあるか。いうまでもなく、片親あるいは両親が日本語で子どもとコミュニケーションをとれるのであれば、子どもはもう片方の言語を使おうとしないだろう。

電車の中にいた親子連れの父親は、明らかに日本語がほとんどできなかった(あるいはそのふりをしていた)。だから子どもは父親と話をするなら、英語を使わなければならなくなり、英語力が伸びたのだろう。一方、私の知り合いの子どもは、両親が日本語ができたために日本語でばかりコミュニケーションをとり、中国語を話す必要がなかったために、いつまでたってもしゃべれるようにならなかったそうだ。

言葉を覚えるには、3歳までの積み重ね、それもテレビや本などの受身的なものではなく、親や親戚など生身の人間とのおしゃべりがなにより重要だが、知り合いの子どもはこの年齢をすぎても中国語をほとんど話そうとせず、そのままきてしまったのだろう。

著者がとった方法は、子どもたちがなにかをお願いするときに、必ず英語で話させたことだ。子どもたちはしてほしいことをしてもらうために、正しい言い方をどんどん身につけるようになる。これは英語を使う必要性を子どもに感じさせるいい方法だろう。

一方で、著者はいつも子どもに言語教育を楽しんでもらうように工夫しているそうだ。その時子どもが興味をもっているおもちゃやヒーロー物語などに関係する英語読み物を手に入れてきて、子どもに読ませると、モチベーションが全然違う。子どもは好きなことにはとことん夢中になり、知らない間に英語も身についていく。

 

疑問に思う人がいるかもしれない。コンピュータによる翻訳が人間の翻訳家に勝るとも劣らないこの時代に、苦労して子どもをバイリンガルに育てる意味はあるのかと。

私は、おおいに意味があると思う。

著者自身も強調していることだが、子どもになにかを伝えたいとき、それが大切なことであればあるほど、母国語を使わなければうまく表現できない、心がこめられないものなのだ。子どもへの心がこもった言い聞かせを、日本語ではなく英語でやることを想像してみよう。言いたいことの半分もうまく言えずにイライラするだろう。子どもと親とのコミュニケーションを取るのに、翻訳アプリを使うのはいかにも味気ない。やはり直接言いたいものだ。

もう一つの理由は、言語は思考方式そのものを変えてしまうことだ。たとえば日本語には「私」「僕」「俺」などさまざまな一人称があって、相手や場合によってうまく使い分けなければならない。これはとりもなおさず、相手が自分より目上か目下か、気安いかそうでないか、常に考えることを求められているのと同じだ。一方英語ときたら一人称は “I” しかなく、一人称を使うのに迷うことはない。ここですでに思考方式が違ってしまうことになる。(もちろん英語にも、別のところで、目上か目下かを判断しなければならない場合はある)

三つめの理由は、その言語でしか表現できないものがあることだ。たとえば北極に近い凍てつく大地に暮らすイヌイットには、「白」を表す言葉が数十種類もあるという。彼らは毎日目にしている雪の微妙な色の違いを見分け、それぞれに違う表現を与えているのだ。これを、雪がない熱帯の国々の言葉に翻訳するのがどれほど大変か、想像つくだろう。もとの言葉を知っていなければ、その言葉の魂ともいうべきものに触れることはできない。

最後に実用的な理由として、英語ができると可能性がぐっと広がるのだ。とくに海外では英語の上手さがそのままその人の教養レベルを表すと考えられているところがあり、完璧なイギリス英語ができればそれだけで一目おかれる。利用しない手はない。

バイリンガルの子どもを育てることはとてつもなく大変だ。だがその見返りは大きい。家族の絆を深めるにしろ、留学や就職などで子どもの可能性を広げるにしろ、バイリンガル(とくに英語)の子どもが有利であることは確かであり、チャレンジする価値は充分にある。本書に書いてあることはいずれも実践的で、明日にでも始められることばかりだ。子どもの言語教育がなかなかうまくいかずにあきらめてしまう前に、是非手にとって読んでみよう。