コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

光が強いほど、影も濃い『アメリカ下層教育現場』

世界一の軍事大国、イノベーションの源泉、最先端テクノロジーアメリカン・ドリームなどなど、アメリカを形容する華やかな表現はたくさんある。

一方で貧富差が激しく、銃規制が進まずたびたび殺傷沙汰が起こり、医療保険や福祉制度の質が低いゆえに緊急入院で自己破産に追いこまれかねない、などマイナスイメージもたくさんある。

どちらもアメリカの本当の姿であり、一面にすぎない。

この本で書かれているのはアメリカの負の側面。本業はアメリカのボクサーをメインに取材するフリースポーツライターであり、三流大学出と自嘲する著者が、恩師の依頼を受けて、ネヴァダ州の高校で臨時教師を務めたときの経験をつづった体験記だ。

レインシャドウ・コミュニティー・チャーター・ハイスクールというその高校は校庭や体育館などの施設がなく校舎のみ、すぐそばにドラッグ売人がたむろする通りがあり、著者のクラスを受講する20人近い生徒のほぼ全員が片親または里親、大学進学率は一桁という劣悪な環境だった。

生徒たちのレベルはどん底で、50分間集中することができない、読み書きや理解能力はその年齢にあるべきものよりも低い。だが、高校卒業の資格がこれから社会を渡っていくのに必要であること自体は理解しており、性根自体は素直であった。ただ、劣悪な住環境、教育の大切さを理解しない保護者のもとにあって、高校の教育水準についていけなくなっただけ。

それがこの本を読んで、私が受けた印象だった。

著者は一時期プロボクサーを目指しており、必要があれば生徒たちに怒鳴ることもいとわず、授業の初日に一番体格がいい生徒と相撲を取っても引かない体力を見せつけている。おかげで「なめられなかった」のが、著者がなんとかうまくやっていけた原因のうち、かなりを占めるという気がしている。隣のクラスで喧嘩が起こり、流血した生徒が逃げこんできたり、公園で生徒同士の小競りあいが起こって警察が呼ばれることはあったようだが、著者のクラスではおおむね平和だったように思う。

だが現実は厳しく、著者が臨時講師をやめてから、教え子の半分がさまざまな理由で退学してしまったという。

ニュースを見ると、日本の底辺高校や夜間高校でも、これに似た光景が見られるらしい。アメリカの現在は日本の30年後だという。淡々とした論評のない文章は、30年後にはもはや報道されることすらなくなっているのかもしれない。