コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

中国公務員を知るための必読書《候衛東官場筆記》

中国の小説は、ビジネス小説と公務員小説が人気ジャンルになっているが、この本は公務員小説の草分け的存在であり「公務員を目指すなら必ず読め」と言われている名作。シリーズは何冊も刊行されており、登場人物304名、84件の内部闘争、66の公務員期間、23回の微妙な人事異動が、1人の公務員の運命に織りこまれているというふれこみだ。

中国公務員の内部闘争は露骨で激しく、職場は文字通りの生き残りをかけたサバイバル場である。作者は現役公務員や元公務員であることも多く(そのためペンネームが普通であり、作者紹介でも詳細紹介はない)、細部がものすごくリアルである。もちろん実在の事件を小説に書くわけにはいかないので、架空の都市、架空の事件を書くが、リアリティがすごいので面白い。

 

舞台は90年代な中国。主人公の候衛東(コウ・エイトウ)が大学の政治法律系学科を卒業する前日から、物語が始まる。

候衛東は卒業したその足でつきあっている彼女の実家に赴くも、国営企業勤めの彼女の両親は、候衛東が国営企業のある市に配属されないことを理由に、就職後は遠距離恋愛になると反対する。意気消沈してバスターミナルに戻った候衛東は、ヘルス嬢にしつこくからまれて喧嘩沙汰になり、警備室に逃げこむ。警備室の警官がたまたま大学のOBだったため候衛東はあっさり放免されたが、その警官がもう一人の警官と口喧嘩するのに居合わせてしまう。地下賭博場のタレコミをつかんだOB警官が急襲をもくろんだのに、地下賭博場のオーナーとつきあいがあったもう一人の警官が捜査情報をもらしたために空振りに終わり、以来二人が犬猿の仲であることを、候衛東は知るよしもない。

冒頭のたった数章で、すでに90年代の中国らしさがこれでもかとつめこまれていて面白い。国営企業勤めの職員の傲慢さと地元愛、遠距離恋愛へのマイナス感情、バスターミナルにたむろする違法営業とみかじめ料をせしめて私服を肥やす警官、同僚同士の足の引っぱりあい。2010年代の今ではかなり変わってきているらしいが、当時の中国はまだいわゆるグローバリゼーションによる高度成長期に入っておらず、国営企業は勝ち組、金儲けのためならなんでもあり、という、ある意味小説にもってこいの、混沌とした時代背景があった。

 

候衛東の不運はこれだけでは終わらない。人事担当者の虫の居所が悪かったために、ほとんど八つ当たりでど田舎にとばされ、公務員とは名ばかり、自分がするべき任務も与えられないまま、ネズミのフンがちらばる部屋に住むことを余儀なくされたのである。意気消沈して腐ってもあたりまえの境遇だが、候衛東は「三年以内に彼女がいる都市に異動して結婚を認めてもらう」という目標を胸に死にものぐるいであがき、ど田舎が道路建設に欠かせない石材資源に恵まれていること、なのにまともな道路が通っていないせいで開発できずにいることに気がついた。候衛東は道路建設に乗り出し、同時に、ずる賢くも石材採掘場の共同経営を信頼できる地元民に持ちかける。法律系学科出身である候衛東は、公務員が商売するのは違法行為であることを熟知しており、母親や姉名義にすることも忘れない。こうして候衛東の大逆転劇が始まった。

 

法律知識を駆使して、違法行為すれすれ(アウト)のことを繰り返しながら大金持ちになっていく候衛東は、現代でいう半沢直樹のように、不運な境遇から一歩ずつのしあがっていく。読者はそんな候衛東の姿に勇気づけられ、また彼のやり方から公務員についてあれこれ学ぶことができるというわけだ。

物語は美しい風景が連なる山道を走っているように、決して観客を退屈させることなく、次々とおもしろい景色を読者の目の前に広げる。候衛東がさまざまな難題にどうぶつかるか、それをどう解決していくか。どの難題も面倒この上なく、候衛東がそれらに正面切ってぶつかる姿も決してスマートではない。

当時の中国はまだ法治社会がきちんと機能しているとはいえず、ましてや田舎では拳でものをいうのもよくあることだった。候衛東はそのやり方に馴染めたからこそ、地元住民の心をつかんだ。泥臭く、人間臭く、時には実力行使に出ざるを得なくなる。それをしっかり書いているため、物語に勢いがあり、一気に読ませる。

候衛東が田舎を脱出して、都会に異動になってからは、物語は政治闘争寄りになる。わたしは前半部分の田舎編の方が好きだけれど、政治闘争が好きな読者には、後半の方が面白いかもしれない。こういうバランスの良さもこの物語の魅力の一つだ。