コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

中流家庭からの転落劇『下流の宴』

林真理子さんの『下流の宴』は、私にとって、時々読み返したくてたまらなくなる小説である。

とてもわかりやすい文章で、読んでいるとまるでドラマのようにワンシーンが思い浮かんでくる(実際にドラマ化もされている)。だけど、一皮まくると、「どろりとした闇」が流れ出てくるような、ひそやかな恐怖を感じさせる。

 

物語は、福原家と宮城家というふたつの家を中心にまわる。

地方の医者の娘として生まれ。東京の中流家庭の主婦となった福原由美子は、二人の子どもにもきちんとした暮らしを望んでいた。娘の可奈は順調にお嬢さま大学に入学して結婚相手探しに精を出す一方。息子の翔は中高一貫校を退学して、実質中卒のフリーターになった。

成人したばかりのある日、翔は結婚相手として、同じくフリーターで2歳年上の宮城珠緒をつれてきた。由美子は珠緒の母親が沖縄の離島で居酒屋をやっており、離婚歴があることを知ると「私たちとは住む世界がちがう」と結婚に反対する。ある事件をきっかけに珠緒はついに由美子の態度に我慢ならなくなり、「医者の娘がそんなにえらいのなら、私が医者になります」と啖呵を切るーー。

 

ドラマ仕立てでありながら、それぞれが抱える心理状況がみごとなまでに伝わってくる。

まずは由美子。なんだかんだと理屈を並べているものの、自分自身が思う「きちんとした人生」を子どもたちが送ってくれないことに過剰なまでの恐怖心を抱いており、息子の翔の意向などまるで考えずに、なんとか翔を「まっとうな」道に戻そうと必死である。翔は翔で母親に反発して家を出たものの、最終的に「お母さんの期待にこたえられない自分が辛くて、家を出たんじゃん」と珠緒に見抜かれている。そのコンプレックスがあってか、翔は「頑張る人」にこれまた過剰なまでの反発心を抱き、向上心をもたないアルバイト暮らしをしている。

この二人の屈折した性格に比べれば、可奈と珠緒はまだ素直だ。可奈はその是非はともかく「美しさを武器にエリートでお金のある男をつかまえて、東京で優雅に暮らす専業主婦になる」という目標は清々しいまでに首尾一貫している。珠緒はものごとに対する感じ方がとても素直であり、「翔ちゃんのお母さんにあそこまで言われてなにもしなかったら、自分で自分を嫌いになってしまう。そうなったらお終いじゃん」と、医学部受験をめざす理由をきちんと言葉にしている。

由美子と可奈は、滑稽なまでに徹底的に「人からどう見られるか」を基準に自分自身の行動を決めている。翔は一見なにも気にしていないように見えるけれど、実際のところは母親の期待を自分自身の目標とすりかえながら、それにこたえられない辛さから逃げるために、あえて(本人も意識していないところで)「別にどうだっていい、楽しければそれでいい」という無気力な態度を貫いている。結局三人とも、自分自身の中に評価基準や行動基準をもっていないという点では同じなのだ。その点、珠緒は自身の中によりどころとなる評価基準をきちんともっているけれど、「医学部に合格したらいつかは変わる、少なくとも今と同じままでいることはありえない」と翔に指摘されている。

私がこの小説を時々読み返したくなるのは、「自分自身の中に評価基準をもたない人々がどんな末路をたどるか」を、この小説から読み取り、「こうはなりたくない」と反面教師にするためかもしれない。いわゆる見栄張りの主婦が陥る子育て地獄、お受験地獄などのテーマはドラマでも小説でもよく見かけるようになったが、この小説はその中でもかなりリアルに身に迫ってくるため、おすすめである。