コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

中国人と中国文化の宿痾のありかを心理学観点から(恐る恐る)さぐってみた〜武志紅『巨嬰国』

巨嬰、という単語が中国語にある。

意味は字面のごとく「巨大な赤ちゃん」、日本語でいうところの「見た目は大人、頭脳は子供」を指す単語だ。

この本の著者は、この単語からスタートして、現代中国社会にひそむ心理的問題を説明しようと試みている。

 

…と言うのは簡単だが、中国の場合、事情はやや複雑だ。

中国文化は儒教、なかでも【孝】を核心とする。【孝】の根幹として、【子は親に無条件に従うこと】がすべての前提にある。ここから発展して、下に従う者を子、上に立つ者を親に見立て、【下は上に無条件に従うこと】というのが社会が拠って立つ根幹だ。

【孝】の解釈に乗り出すことは、社会の成り立ちそのものを問うことを意味する。言論の自由が保障されない社会で、この問いかけはときに危険を伴う。さしずめ、イスラム教が主流である社会でコーランを批判的に解析するようなものか。

著者もそれを充分承知しており、カウンセラーの立場から、あくまで心理学的研究の一部として、このトピックを取りあげることにした、と書いている。

孝道は中国文化の核心であり、この構造を解析することは、わたしにたくさんの危険をもたらすかもしれなかった。精神分析の方式を使えば、構造解析はずっと安全にできるだろう。

 

このように、多少手足を縛られながら、著者は現代中国社会における【巨嬰】なるものについて深い思索を重ねている。

著者によると、嬰児は全能感をもち、すべてのものはコントロール可能で、自分の考えに絶対従わなくてはならないと考えるものだという。だが実際には世の中思い通りにならないことの方が多い。こういう場合、嬰児は自分の思い通りにならないことに激しい怒りを感じ、思い通りにならない世界をぶち壊してしまいたいという破壊願望に駆られ、コントロールできないことに自我が危うくなるほどの不安感を抱くのだという。この怒りや破壊願望、不安感を解消するために、嬰児は次のような論法を持ち出す。

  1. 自分は全能で、通常ならすべてをコントロールできるはず。
  2. なのに思い通りにならないのは、自分のせいではなく、悪意ある誰かが攻撃してきたせいだ。
  3. 悪意あるそいつを破壊できたら、ふたたびすべてはコントロール可能になる。
  4. ゆえに、そいつを攻撃して破壊しなければならない。

嬰児の場合「自分」と「母親などの他人」と区別できていなかったりするから、話はさらにややこしくなる。ふつうコントロール可能なのは自分自身のみだが、嬰児は自分自身と自分以外の誰か(たとえば母親や子供)を区別できていないから、その誰かまで完璧にコントロールできなければ気が済まない。

中国社会にはこうした精神構造をもつ人々がとても多い、というのが著者の観察結果だ。こうなった原因は【孝】と切り離すことができない。きちんとした自我を築くことを禁じられ、ただ盲目に親なるものに従うよう訓練された人々は、嬰児段階で精神的成熟度が止まってしまう。この【巨きな嬰児】たちを制御して国家としてまとめるための手法として、【孝】、すなわち「赤ん坊はいいから黙って親の言うことを聞け」方式の考え方がますます力をもつ。

 

中国文化の核心は、【巨嬰】の精神構造をもつ国民たちを、【孝】の手法からさまざまな制約を課して、なんとか社会としてまとめあげることにある。これが著者のメッセージであり、本書の中で繰り返し登場する。

著者自身は、かつては【孝】の考え方をとことん嫌悪していたという。理由は単純で、父方祖父母が【孝】の名のもとに著者の父母をいびり倒してきたのを見てきたからだ。著者の父親は三男だったが、著者は祖父母が父母をどれほどいじめようとも、父母に反抗することを許さない【孝】という考え方を嫌悪し、成長して心理学を学ぶようになってからは、なぜ【孝】という考え方ができたのかとことん考えたあげく、【孝】は【巨嬰】をまとめあげる必要にかられて生まれた考え方だ、という結論に達した。

ではなぜ14億総【巨嬰】になってしまったかというと、親になるべき男女が精神的に成熟できていないーー文化・社会そのものがジャマをするーーため、子どもの自立精神を充分育てることができず、親に従うことを強要するという悪循環に陥ってしまうからだという。

子どもは赤子のころに充分質のいい愛情と肯定を得ることが大切だが、親になるべき男女はそれを受け取ってこなかったから、自分達の子どもに質のいい愛情と肯定を与えることができない。むしろ「聞き分けのいい子」を強要することで、自分の支配欲を満たそうとしてしまう。これこそが【巨嬰】の特徴的な考え方だ。子どもを含めてすべてをコントロールできるという錯覚をもつことが。そしてコントロールされて育った子どもは、自分の子どもをコントロールしようとする。【孝】はこの悪循環を正当化すると同時に、この悪循環で生まれた【巨嬰】たちを社会の一員としてまとめるのに役立つ。

ではどうすれば悪循環から抜け出せるか。著者は「愛情と尊重をもって子どもに接する」ことだという、言いたいことはわかるけどどう実行すればいいのかわからない結論を出している。ひとりでは無理であればカウンセラーなどの専門家を頼ってほしい、というのはなんだかポジショントークにも思える。

結論はともかく、【巨嬰】という考え方や【孝】の解釈についてはなかなかいい本。日本語版は出ていないようだけれど、中国文化や儒教の影響を深く受けている日本人が読んでも、学ぶべきところはあるのではないだろうか。