コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

SF小説、謎解きミステリー、哲学的思考実験としてもすばらしい〜劉慈欣『三体』

 

三体

三体

 
三体Ⅱ 黒暗森林(上)

三体Ⅱ 黒暗森林(上)

 
三体Ⅱ 黒暗森林(下)

三体Ⅱ 黒暗森林(下)

 

わたしはめったにSFを読まないが、この話題作はなかなか良かった。ネットでは人物描写が弱いという感想もあるようだけれど、天才的なひらめきとしか思えない一言が突然出てくることも。第三部(未邦訳)のとあるシーンでの「食べるものは!?」、凄すぎる。

『三体』というタイトルは古典力学の三体問題からとられているが、小説自体も、数学モデルを思わせる緻密さ。作中で重要な役割を果たす三体問題、ナノマテリアル量子コンピュータ、多次元空間などの最先端技術が、小学生にもわかるほどの簡潔なたとえでみごとに説明されているのがうれしい。

 

面白いところをあげればきりがないが、まず徹底的に『三』という数字にこだわっているのが、物語を理解するために重要だ。

『三体』というタイトルや『三部作』であることはもちろん、地球外知的生命体として登場するのは『三重星系』の惑星に住む『三体星人』。第三部で最大の謎解きとなるのは『三つの童話』。おとぎ話、伝説、昔話に深遠な意味をもたせることはよくあるけれど、『三つの童話』は作中登場人物の創作で、道徳観ではなく最先端技術情報を伝えるための比喩隠喩をちりばめた暗号童話である。さらに人類にとって最も重要な『三』ーー『三次元』が、物語後半のキーになる。

三部構成のあらすじを簡単に。

 

【第一部】

とある三重星系。そこには三体星人が生息しており、科学技術は地球より数倍進んでいる。三重星系では空に太陽が三つあり、しかも離れたり近づいたりするから、地表気温は安定することがなく、極寒と極暑のあいまにときたま温暖気候があるのみ。三体星人は母星の過酷な生息環境から脱出するため、移住先を探すべく、宇宙空間を探索しつづけていた。

ひるがえって地球、1960年代の中国。文化大革命時に「紅岸基地」という極秘基地が建設され、異星人をさがしていた。理論物理学者である父親を目の前で紅衛兵になぶり殺された過去を持つ葉文潔(イエ・ウェンジエ)は、みずからも天文物理学の道を志していたゆえに、偶然が重なってこの極秘基地に入った。

ある日、彼女は三体星人からのメッセージを受けとった。壮絶な過去から人類文明とその自浄作用に絶望しきっていた彼女は、みずからの返信が三体星人の地球侵略を招きかねないのを承知で返信を打つ。同じく人類に絶望感を抱く同志たちを募りながら、ひっそりと時を待ったーー

 

【第二部:黒暗森林】

主人公は変わり、天文学者から社会学者に転向した変わり種であり、葉文潔の娘の同級生でもあった羅輯(ルオ・ジー、中国語読みは「ロジック」を意味する単語と同音)になる。三体星人の地球侵略はすでに世界中に知られていて、懐疑派あり、強硬派ありと混迷状態。ある日、葉文潔の娘の墓参りに行き、そこで葉文潔と短い会話を交わした羅輯は、その直後、理由もわからないまま地球三体協会(ETO)の執拗な暗殺対象になる。

その頃国際連合は、三体星人が放ったスパイコンピュータ「智子」が、地球上のあらゆる情報にアクセス可能であるものの、人間の思考だけは把握できないことを逆手に取り、「面壁計画/ウォールフェイサー・プロジェクト」を提唱した。〈面壁者〉として選ばれるのは四人。彼らの任務は、三体星人の地球侵略に勝利するための戦略を頭の中だけで組み立て、その真意を悟られぬまま実行すること。あらゆる国際協力、資金、設備が望むままに供給されるが、機密保持のため、説明義務を負わない。羅輯は三体星人の暗殺対象となったために、理由はわからぬながらも重要人物だとみなされ、〈面壁者〉のひとりに任命された。

一方、いちはやく面壁計画を察知した地球三体協会は、彼らの真意をさぐるための〈破壁人〉を任命する。〈面壁者〉〈破壁人〉の間で、世界最高峰のチェスゲームのごとく、熾烈な読みあい騙しあい、腹のさぐりあいの火蓋が切って落とされたーー

第二部はSF小説ではあるけれども、謎解きミステリー仕立てにもなっている。副題「黒暗森林」(フェルミパラドックスにヒントを得ているらしい)が象徴的。作中で日本人が『銀河英雄伝説』の一節を口にするのが嬉しい。

 

【第三部: 死神永生(未邦訳)】

第二部から数十年後。三体星人と人類は緊張関係の中でにらみあいを続け、人類が三体星人に対する威嚇システムを手にしたことでかろうじて共存していた。

威嚇システムのスイッチを起動する権限を持つ者は、ダモクレスの剣にちなんで〈執剣者〉と呼ばれる。ひとたびスイッチを起動すれば、三体文明のみならず、地球文明までもが危機にさらされかねないため、〈執剣者〉には、いざとなれば二つの文明もろとも道連れにして滅ぶほどの覚悟が求められた。

一方人類はというと、初代〈執剣者〉がもたらした数十年間の平和を享受し、まるで赤ちゃん返りしたように覇気を失い、中には三体星人の脅威と威嚇システムの存在意義そのものを疑問視する者まで現れていた。

初代〈執剣者〉は高齢化しており、世代交代を余儀なくされた。二代目〈執剣者〉として、若き女性宇宙物理学者の程心(チェン・シン)が選ばれた。彼女は面壁計画の背後で進行していたもうひとつのプロジェクト「階梯計画」にも深く関わっていた。(この「階梯計画」、作中屈指の悪魔のアイデアだと思う)

程心がスイッチを手にしたわずか5分後、事態は急展開する。三体星人は待っていたのだ。彼らですら畏れずにはいられなかった初代〈執剣者〉が、その役割を終えるのをーー。

 

数学的緻密さで物語が練られている一方、『三体』は人間の倫理観に真向勝負をしかけている。

作中では、地球侵略を試みる三体星人に対して、倫理を度外視した冷徹な対抗策がとられることがしばしばある。「面壁計画」「階梯計画」しかり、〈面壁者〉たちが考え出した迎撃戦略しかり、いずれも中国の慣用表現でいう「殺敵一万、自損八千」(もとは孫子兵法の「殺敵一万、自損三千」をもじった表現。一万人の敵を殺す代償として味方も八千人斃れる、つまり戦には勝利するものの自分も割りにあわないほどの大損害を被るという意味)そのもの。

三体星人の科学技術が人類より数倍進んでいる以上、犠牲無くして勝利はない。

登場人物たちは(一部を除いて)このことをよくわきまえている。作中で〈面壁者〉のひとりが、日本の神風特攻隊について展示している博物館を訪れるのが象徴的。「今度はホタルになって戻ってくるよ…」という特攻隊員のお別れの言葉がリフレインされるのが、もの悲しいことこのうえない。

第三部の主人公である程心(わざとやっているのか、中国語で『程心』と『誠心』は同音語)だけは、このことをわきまえていない言動がめだつ。彼女は「ロマンチックなラブストーリーの主人公」「愛にあふれた聖母のような女性」ともてはやされているけれど、作中で、二度、愚かきわまりない選択をした。物語終盤で彼女がした選択の結果は、作中では明かされていないけれど、おそらく彼女の「三度目の」愚かきわまりない選択となり、その選択の結果は災い以外のなにものでもないだろう。実際、中国のネットユーザーのあいだでは、程心を嫌う感想が目立つ。

わたしは、程心の言動は【愛は地球を救う】系のスローガンへの痛烈な皮肉だと思う。愛とか感傷とかいうものの名のもとで彼女がした選択を見よ、その結果を見よと。

さらに救いのないことに、程心を聖母とかつぎあげる愚民たちのために、程心は心ならずして、選択しなければならない位置に追いやられた。程心は愚かかもしれない、ならば彼女を選んだ人々は? そう考えるとこの結末はすべての【他人に選択と行動責任を押しつける】【行動とその結果を引き受ける責任主体たることを放棄した】人々への強烈きわまりない皮肉とも読める。

きさまらが当然のものとして享受している【平和】は、敵を威嚇する強力な武器と、困難極まりない選択をする覚悟がある人々によって守られている、それを忘れるな、と。

 

SF小説としても、謎解きミステリーとしても、哲学的思考実験としても、『三体』は期待を裏切らないすばらしいエンターテインメントを提供してくれる。手持ちぶさたな秋の長夜に、ぜひどうぞ。