コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】ひとはいつでも合理的、ではない〜ダニエル・カーネマン《ファスト&スロー》

そろそろ人生も中盤戦にさしかかってきたところで、本を読むということを考えなおしてみた。読みたい本がたくさんある。優先順位をつけなければ、読むべき本を後回しにしてしまうかもしれない。それでは余りにもったいない。

だから、

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

を優先して読むことにする。すでに知っていることを繰り返すだけの本を読んだり、退屈しのぎにありふれた本を読んだりすることに時間をかけたくない。読みたい本を読むのなら、読書が人生の一部となっているのなら、退屈している時間などないのだから。

本書『ファスト&スロー』は文句なしの①。

 

【読む前と読んだあとで変わったこと】

「なぜあの人は他人の言うことを聞かないのか」

「なぜ直感的に思いついたことはまちがっていることが多々あるのかーーとくに統計情報がからむときに」

本書を読むことで、これらのよくある疑問に関するすばらしい情報が与えられる。自分が考えていることは思いこみにすぎないのではないか、思考回路がエラーを起こしていないか、自己チェックする習慣がつく。

ちょうどオンライン記事で素晴らしい言葉を読んだので、一緒に置いておく。

どこまでも基本から考えること。自分の思い込みからくる無自覚の前提を置かないこと。これが重要です。

大事なのは知識じゃないんです。それは聞けばいい。調べればいい。大事なのは考え方です。サイエンスを扱うならば、因果関係のショートカットはいけません。

 

本書『ファスト&スロー』は全人類必読書。とくに自分の意見は絶対正しいと思いこんで他人のいうことを全然聞かない一部の知人、ほんと読んでくれ。

端的にいえば「人間の思考は系統的エラーが起こるものであり、自分が思うほどいつでも合理的行動をとれているわけではない」ということをさまざまな心理学的実験から説明する本。著者は行動経済学ノーベル賞を受賞しているダニエル・カーネマン行動経済学はまさに「人間は合理的行動を取るとはかぎらない」ことを出発点とする学問だ。

エラーがおこるのは、生育環境、教育、本人の思想などとは関係ない。エラーが起こるのは人間の認知装置(大脳)そのものが、エラーが起こりやすい仕組みになっているから。著者はこれを「エラーは感情の影響ではなく認知装置の設計に起因する」と表現する。

 

本書では思考システムが2種類共存しているとして、「システム1」「システム2」という表現で、エラーが起こる仕組みを説明している。

「システム1」はいわば直観的・本能的反応を返す。「システム2」は論理的思考を要する仕事をする。ふだん人間は24時間「システム1」を起動しているが、「システム1」で手に負えない課題(たとえば数学の宿題)がでてきたら「システム2」が呼び起こされる。「システム2」が使用する判断材料は「システム1」が供給する。ただし「システム2」は怠けものでエネルギー消費を抑えようとするから、「システム1」の解釈を鵜呑みにして受け入れるだけのこともあるし、たとえ思考が必要なときでもできるだけサボろうとする。このため「システム2」がストップをかけることなく、「システム1」の判断がそのまま言動にあらわれることが多々ある。

ならば「システム1」はいつも正しい判断をするかというと、これが曲者。たいていの場合「システム1」は良い仕事をするが、苦手分野、間違えやすい分野ではとたんにエラーを起こす。わけても統計的事実は苦手分野。ちなみに「システム1」が起こしがちなエラーと統計的事実とを比較検討したのが、ベストセラー『ファクトフルネス』である。

 

『ファクトフルネス』は社会学の統計的事実と人間の思い込みとを比較したものだが、一般的に、どういう状況でエラーが起きやすいか、それを探るのは著者の仕事だ。

「システム1」についての記述を引用する。

システム1の主な機能は、あなた自身にとっての世界を表すモデルを自動更新することにある。このモデルは、一言で言えば「あなたの世界では何が正常か」を表す。周囲の状況、さまざまな事象、行動、その結果(同時または短時間内にほぼ規則性をもって起きる結果)を連想によって関連づける作業を通じて、モデルは構築される。関連づけが強化されるにつれ、あなたの生活に起きるさまざまな事象の構造が連想観念パターンで代表されるようになる。そしてあなたが現在のことをどう解釈するか、将来のことをどう予想するかは、このパターンによって決まる。

意識的に「システム2」を働かせない限り、われわれのものの見方のパターンは「システム1」が支配する。ようするに私たちは「システム1」を通して世界を見ているのだ。

私が好きな荒川弘さんの漫画エッセイ『百姓貴族』で、肉牛農家が「その辺で動いている茶色いもの=牛」と認識しているために、クマに気づくのが遅れたという笑い話が出てくるが、「システム1」の働きはまさにこれ。

百姓貴族(1) (ウィングス・コミックス)

百姓貴族(1) (ウィングス・コミックス)

 

肉牛農家がクマを牛と間違えたエピソードは、「システム1」のもうひとつの重要な特徴にもかかわる。限られた手元情報をもとに結論にとびつき、手元情報の質と量はほとんど気にしないのだ。ふつうに考えれば「その辺で動いている茶色いもの」にはあらゆる動物があてはまりそうなものだが、システム1は「牛」と決めつけた。もちろんこれまでの経験上、牛である可能性が一番高いのは確かだが、クマである可能性もたまにはある。「システム1」が、自分の見たもの、自分の経験したことがすべてだと勘違いしていたことが、そこで明らかになる。

「自分の見たものがすべてだ」となれば、つじつまは合わせやすく、認知も容易になる。そうなれば、私たちはそのストーリーを真実と受け止めやすい。速い思考ができるのも、複雑な世界の中で部分的な情報に意味づけできるのも、このためである。たいていは、私たちがこしらえる整合的なストーリーは現実にかなり近く、これに頼ってもまずまず妥当な行動をとることができる。だがその一方で、判断と選択に影響をおよぼすバイアスはきわめて多種多様であり、「見たものがすべて」という習性がその要因となっていることは、言っておかなければならない。

 

非常に大切だが、非常にわかりづらい概念として、平均回帰も本書で扱われている。

あることがとてつもなくうまくいけば、つぎに同じことをしたときにはそれほどうまくいかない。反対に、ひどい失敗をすれば、次は多少マシにこなせる。これは、何回も同じことをやれば、個々ではうまくいったりしくじったりするかもしれないけれど、全体的には出来の良し悪しはある程度平均的になる、という事実に基づくがーーこれがとんでもなく直感的に理解しがたい。もう因果関係を探したくてうずうずする。本書でもとりあげられている、教官と関連性の話はまさにこれ。

教官が訓練生を誉めるのは、当然ながら、訓練生が平均をかなり上回る腕前を見せたときだけである。だが訓練生は、たぶんそのときたまたまうまく操縦できただけだから、教官に誉められようがどうしようが、次にはそうはうまくいかない可能性が高い。同様に、教官が訓練生をどなりつけるのは、平均を大幅に下回るほど不出来だったときだけである。したがって教官が何もしなくても、次は多かれ少なかれましになる可能性が高い。つまりベテラン教官は、ランダム事象につきものの変動に因果関係を当てはめたわけである。

本書で繰り返されているのは、人間の思考はときには非合理的なものだということ。直観的な結論はときにとんでもなく間違うから、客観的事実や統計数字に頼ったほうがよいこと。

本書でとりあげられている非合理さの具体例を見ると、脳裏にあの人とかこの人とかの顔がちらつく。自信満々でほかの人の意見を突っぱねる人、まわりの間違いはとてもよく見えるけれど自分の非は棚にほうり上げる人、リスクについて楽観的過ぎる人。もちろん自分自身も例外ではない。

そういう人たちや自分自身について語るときのために、著者はさまざまな言葉をこの本にこめた。なんとなくそうかなあと思っていたことを、言葉で表現するための方法を教えてくれた。では著者が教えてくれた新しい言葉たちを、わたしはより自分自身を深く知るために使いたいし、まわりにも本書を大推薦する。