コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

ロシア、東欧、中央アジアのことを知るために読む本を探す〜米原万里『打ちのめされるようなすごい本』

著者の米原万里さんは、日本共産党常任幹部会委員の娘として生まれ、1959年、父親のチェコスロバキア赴任に伴って渡欧、9歳から14歳まで、外国共産党幹部子弟専用のソビエト大使館付属学校に通ったというめずらしい経歴の持ち主。ロシア語同時通訳の仕事柄、ロシアのVIPをはじめ、現代ロシアに暮らすさまざまな人々のふるまいを直接見聞きすることができる。その一方で大変な読書家であり速読が得意、日に7冊も本を読むことができた。

そんな米原万里さんの書評や、週刊文春に連載されていた読書日記をまとめたのが本書。読書日記の連載時期が米原万里さん自身のがん闘病と重なっていたこともあり、ところどころにがん関連の書籍が顔を出す。

米原万里さんが紹介する、ソビエトをはじめとする共産圏についての本はどれもいますぐにでも手に取りたいほど魅力的で、読みながらとった書名メモがあっというまにどんどん長くなっていった。

たとえばラジンスキー『赤いツァーリ』『真説ラスプーチン』。前者は数千万人ともいわれる大量粛清を実行しながら国民に支持されて生涯を閉じ、その死も病死なのか謀殺なのか謎めいているスターリンの、後者は無教養で絶倫、皇后始め数々の貴婦人を魅了してついには皇帝まで影響下においた怪僧ラスプーチンの生涯を綿密に解き明かすとして絶賛している。ムラギルディン『ロシア建築案内』は、建築物とそこに暮らす人々の文化、習慣を結びつけて活写する「建築史や都市計画のみならず、歴史や宗教、文学についてもやたら蘊蓄と毒がある文章」。塚田孝雄『ソクラテスの最後の晩餐』のように、古代ギリシャ語を読みこなす著者による、当時のアテネの人々の暮らしがそのまま見えるかのような本も紹介されていて、野次馬根性からすぐに読みたくなる。

一方でがん闘病過程ででてくる民間療法関連本のタイトルや内容が、あまりにもひどく、その落差にショックを受ける。

たとえば活性化自己リンパ球療法。米原万里さん自身が試すも結局がんは転移し、のちに、がん細胞は正常細胞が変異したもので「非自己」ではなく、リンパ球療法でがん細胞を攻撃させる考え方はそれ自体に無理がある、と知って落胆している。それでもあきらめられない米原万里さんは、その後も温熱療法などに手を出している。彼女が参考とした本が読書日記に出てくるが、民間療法紹介ばかりであることを奇妙に感じた。三大療法(放射線治療、外科手術、抗がん剤)を使わずにすむ道をさぐっていたのだからあたり前かもしれないが。

複雑怪奇きわまりないロシアについて、さまざまな読み応えある本を紹介する聡明な著者が、がん闘病では怪しいうえに高価な民間療法に手を出さずにいられない、矛盾。書評集なのに書評を書く本人の人間としての苦悶、葛藤、歓喜がいちばん印象に残る。