コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

想像力を求められる読書〜中村哲『アフガニスタンの診療所から』

米原万里さんの書評集『打ちのめされるようなすごい本』の中でとりあげられていた中村哲医師の著者『アフガニスタンの診療所から』は、ずいぶん前に買ってそのまま積読状態だったが、この機会にとうとう読んだ。

本書は中村医師の十数年にわたるパキスタンアフガニスタンにまたがる現地活動について書かれたノンフィクション。中村医師がアフガニスタンで兇弾に倒れたあと、ちくま文庫から緊急発刊されたのを購入した。

 

一読して思ったのは、決して読みやすくはないということ。

ソ連侵攻下のアフガニスタンに隣接するパキスタン、難民が押しよせるペシャワール。物資が欠乏し、欧米諸国の思惑とわたりあい、患者や現地スタッフ間の対立の中に身を置きながら、癩(らい)病患者に立ち向かう中村哲医師。

日々困難の中で十数年をすごした記録だというのに、本書は意外なほどに薄い。ちくま文庫版で224ページ。苦労など売るほどしているし、「ドラマチックな」体験にはこと欠かず、書こうと思えば数百ページのハードカバーだって書けるはずなのに、中村医師はむしろ読者がそれを望むことをけしからんと思っているようだ。

筆舌に絶する苦労も、理不尽なできごとへの怒りも、爆弾テロや砲弾にさらされる危険も、そっけないほどに終始淡々とした一人語りにくるみこんでいる。言葉の背後にあるものをつかむためには、読者の方で想像力をかきたてなくてはならない。

 

らい。医学的正式名称はこれだが、日本ではその差別的歴史からハンセン病と呼ばれることが多い。ただし中村医師はらいと呼び、その理由を本文中で明かしている。

らいは感染症だが、治療法はすでにある。ただパキスタンアフガニスタンのような地域では、長期間にわたる投薬はなかなかできない、足を傷つけないための履物もいろいろ事情があって難しい、そもそも専門家がほとんどいない、という状況であり、中村医師はじめ支援団体が現地活動をしている。

終始淡々とした一人語りだが、本文中にただ1箇所、現地スタッフとの対話を長々と書いているところがある。深夜にニュースを聞く場面。

「日本の国会は国連軍に軍隊を参加させることを決定し、兵士に発砲できる許可をあたえました。これにたいして韓国が強硬な反対声明を出し…」

そこに集まっていたJAMSのスタッフも皆、私を気にしてだまっていた。だれもコメントはしなかった。私は気まずい場をとりつくろうために大声でいった。

「ばかな!こいつはアングレーズの陰謀だ。日本の国是は平和だ。国民が納得するものか。納得したとすれば、やつらはここアフガニスタンで、ペシャワールで、何がおきているかごぞんじないんだ。平和はメシのタネではないぞ。平和で食えなきゃ、アングレーズの仲間に落ちぶれて食ってゆくのか。それほど日本人はばかでもないし、くさっとらんぞ」

アングレーズは地元語で英米のこと。現地人の憎しみの対象だ。スタッフと中村医師の対話がつづく。やりきれない心情ながら、中村医師への尊敬の念から、なんとか日本をかばおうとするのが痛々しい。

だが、これこそが国際協力だ。中村医師は書く。

少なくともペシャワールでは、もっともよく現地を理解できる者は、もっともよく日本の心を知る者である。自分を尊重するように相手を尊重しようとするところに国際性の真髄がある。

米原万里さんも著書『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』の中で書いているが、さまざまな国家、民族、地域出身者が入り乱れるところでは、みずからの出身や信念に誇りを抱く者が尊敬され、そうでない者は流されやすい軟弱者と軽蔑される。みずからに誇りを抱く者は、他人の誇りを理解し、尊重することもできる。現地スタッフとやりとりするにあたっては、現地のやり方を尊敬することがなにより重要だ。外国人はしょせんよそものなのだから。

中村医師もまた、確固たる信念をもって活動し、アフガニスタンで尊敬を集めた。兇弾に倒れたあと、棺にはアフガニスタン国旗をかけられ、大統領自らが棺をかつぎ、中村医師へのこの上ない尊敬の念を示した。

日々ニュースやワイドショーでショッキングな映像をただ見て満足している人々には、本書の内容は刺さらないだろう。反対に、本書の淡々とした語りの背後に、現地の壮絶さ、誰も悪くないのに状況が悪化することへのやるせなさ、燃えたぎる怒り、確固たる信念を感じ取り、想像できる読者であれば、この本は手放しがたいものになると思う。