コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

ロシア皇帝を意のままにしたという農民〜ラジンスキー『真説 ラスプーチン』

 

真説 ラスプーチン 上

真説 ラスプーチン 上

 
真説 ラスプーチン 下

真説 ラスプーチン 下

 

 

米原万里さんの書評集『打ちのめされるようなすごい本』の中で紹介された『真説ラスプーチン』を図書館で見かけたとき、絶対面白いやつだと確信した。なぜなら数百ページあるハードカバー上下巻の背表紙がどちらも斜めになっていたから。面白い本は一気に読まれるため、ハードカバーの背表紙が斜めになりやすい。そして期待は裏切られなかった。

 

わたしが初めてロマノフ王朝ラスプーチンについて知ったきっかけは、名探偵コナン劇場版『世紀末の魔術師』。ロマノフ王朝の秘宝をめぐる物語の中で、ニコライ皇帝一家破滅のきっかけをつくった「世紀の大悪党」ラスプーチンの名前は異彩を放っていた。

劇場版 名探偵コナン 世紀末の魔術師

劇場版 名探偵コナン 世紀末の魔術師

  • 発売日: 2017/04/08
  • メディア: Prime Video
 

 

ラスプーチンはロシア東部に残る民間信仰や旧信仰のうち「鞭身派」の信仰に影響されたというのが著者の見立て。

信者は文字通り身体を鞭打ち(マゾっ気のあるラスプーチンにはこれがハマったらしい)、敬虔な禁欲生活をする…ことになっているが、なぜか「禁欲=際限なく淫蕩にふける」「女性の裸体を前に自制心を失わない修行をする(?)」というワケワカラン(「いかにもロシアらしい、思いがけない」)ことがなされていた。

鞭身派では、AVを凌ぐ乱交パーティが宗教儀式として実際に行われ、農民や労働者の間に信者を多数獲得していた。さすがにペテルブルクの貴婦人たちを相手にここまですることはなかっただろうが、ラスプーチンに「無学の絶倫男」「既婚者を含む女性たちとつぎつぎにきわめて近しい関係を結んだ」というイメージがつきまとうのはこの辺りに原因があるらしい。

鞭身派の教えには、ロシア人の魂の危険な側面がよく現れている。それは罪を恐れない大胆さだ。鞭身派の教えはこんなふうに説いているーー敬虔な人間は、罪を犯すと、その後でいつもその罪ゆえの苦悩を味わい、それゆえ懺悔することになる。その結果、魂の大いなる浄化が起こり、罪人は神に近づく。このように大いなる罪と大いなる懺悔の間をいつも行ったり来たりすることにこそ、意味がある。(……)

罪を通じて罪から解放されるというこの鞭身派の理念、この「霊操」、罪を犯すことの重要さーーこういったことの理解なくして、ラスプーチンを理解することはできない。

うん、わけわからん。

しかしこの鞭身派ロシア正教会からは弾圧されていたものの、庶民の中では熱狂的信者がおり、レーニンはじめ共産主義者たちも「鞭身派は規模が大きく、メンバーは政府を憎んでいる」という理由で、鞭身派信者たちにひそかに近づいていたという。

 

ラスプーチンが生きたロシア社会の宗教感覚は複雑だ。

十世紀末にキリスト教東方正教がロシアに受け入れられたが、それまでの民間信仰は異教となって、森深いロシア東部やシベリアに息づいていた。十七世紀にはピョートル大帝とその父親が公認教会を皇帝の支配下におき、宗教儀式などを変えてしまう。それまでの信仰を守りたい人々が東部に流れ、古くからの宗教儀式を維持した。

ニコライ2世が革命の波にさらされるずっと前から、民衆はロシア正教会に根深い不信感を抱き、社会では公認教会を反啓蒙主義の代名詞のようにとらえ、知識人たちはペテルブルク宗教哲学会議を開いて公認教会に変化を迫った。虐げられた農民たちは救世主を待ち望み、さまざまな異教信仰とキリスト教を結びつけた奇妙な信仰を編みだした。

本書を読むと、なぜ「キリストがパン、奇跡、権威という信仰理由を人間に与えなかったために、かよわき人間たちは自由意志でキリストの信仰を守らねばならないこと、それ自体に苦しみつづけている」と断じてみせた《カラマーゾフの兄弟》がロシアで書かれなければならなかったのか、その片鱗を見ることができる。

 

公認教会を支配しているニコライ皇帝はといえば。

皇帝自身は内気で気が弱く、ほとんど皇后アレクサンドラ(アリクス)の言いなりだったという。

皇后はもともと「人を信じる能力がある」性質であり(一見良い性質のようだが、読みすすめると、思いこみが激しく人のいうことを聞かないという意味だとわかってくる)、神秘主義に関心深かった。そのうえ、なかなか世継ぎにめぐまれないことに苛立ち、やっとのことでもうけた息子のアレクセイ皇太子に遺伝病があることに心を痛めて、「息子の病気を治してくれるよう救い主」を探していたという。

奇妙なことに、皇帝と皇后は公認教会ではなく、一般庶民、それも貧しい農民の中にこそ真の信仰と救いがあると考えた。農民出身でろくに読み書きもできないラスプーチンが皇帝夫妻にすんなり受け入れられたのは、ラスプーチン自身のカリスマ的魅力もさることながら、この考えに「ムジーク」(農民)ラスプーチンがぴったり一致したためでもあるらしい。

この辺、現在世間を騒がせている眞子さまの結婚問題に通ずるものがあると思う。人間、自分がよく知るものには退屈さを覚えるが、「これまで会ったことがないタイプ」には新鮮な魅力を感じるもの。「よく知らないがいいものにちがいない」と思いこむことがある。育ちが良いからこそ、この罠にかかりやすい。

ニコライ皇帝一家も例外ではなかった。皇后はまもなくラスプーチンに精神的に依存するようになり、彼の祈りにより皇太子と自分自身の病気が良くなると本気で信じこんだ。ニコライ2世もラスプーチンを長老と呼び、彼に精神的支えを求めた。

 

ラスプーチンと皇帝一家のつきあいは秘密にされていたが、しだいに噂話やささやきが広まった。宮廷人たちはラスプーチンが皇帝夫妻に強い影響力をもつことが気に入らず、主教たちはラスプーチンが本当に信仰心深いのか疑い始めた。そりゃそうだ、ラスプーチンが女性たちと風呂をともにしたなどという怪しげな噂が立っていたのだから。

ラスプーチンが皇帝夫妻に及ぼす影響力が強ければ強いほど、貴族階級や国会、長老たちが彼に向ける憎しみは増した。ニコライ2世はラスプーチンエルサレム巡礼の旅に向かわせたり、宮廷ではなく皇后の侍女の家でラスプーチンに会ったりと、さまざまな方法で状況を変えようとしたが、憎しみを解くことはできなかった。

君主制が敷かれている国で「皇帝にいうことを聞かせられる読み書きもろくにできない農民の邪教信者」がどういう感情を向けられるか、今日のわたしたちにも想像がつく。現代でいえば韓国の朴槿恵前大統領がいい例。当時のロシアでは皇帝を罷免できないから、憎しみはすべてラスプーチンに向いた。

幾度もの暗殺計画や暗殺未遂が重ねられ、ついには、ニコライ皇帝の親族であるドミートリー大公やフェリックス・ユスーポフによるラスプーチン暗殺計画につながっていく。ラスプーチン暗殺の状況はまるで推理小説だ。ユスーポフの回顧録(もちろん本人の都合のいいように書かれている)、ユスーポフ邸近くにいた巡査たちの証言、ラスプーチン家にいた人々の証言から、著者は丹念に読み解いていく。暗殺実行日にいったいなにがあったのか、誰がとどめを刺したのか、なぜ当事者たちはいくつもの嘘や隠蔽をしなければならなかったのか。

 

ラスプーチンが殺されたあと、皇后アレクサンドラの表現を借りれば「まるであの方が殺されたことに対する神の罰のように」、皇帝一家の運命は破滅に向かって転がり落ちていく。わずか2ヶ月後に二月革命が起き、ニコライ皇帝は退位を余儀なくされる。やがて皇帝一家はラスプーチンの生まれ故郷であった寒村を通ってエカテリンブルクに送られ、地下室で一家全員殺されることになる……。

 

ラスプーチンとは何者だったのか。彼はロマノフ王朝の崩壊を早めたのか、それとも彼は命運尽きたロマノフ王朝ラストエンペラーにたまたま気に入られてそばに仕えただけなのか。性的解放を含む鞭身派の教義、ラスプーチン自身の異様なカリスマ性、ソビエト連邦成立後に破棄された膨大な記録が、ラスプーチンを謎めいた人物に仕立ててきた。

だがこの本を読んだわたしは、ラスプーチンロマノフ王朝滅亡の原因をつくったとはいえないと思う。度重なる大臣や貴族たちの反対にもかかわらず、ラスプーチンを信じて助言を求めていたのはアレクサンドラ皇后であり、皇后の言いなりになっていたのはニコライ皇帝なのだから。皇帝一家の破滅の運命は避けられず、ラスプーチンは、もしかすると、それをすこし早めたかもしれないというだけ。「王はみずから倒れるもの」ーーなのだから。