コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

[テーマ読書]旅行記エジプト〜トルコ〜中東

新型コロナやらなんやらのせいで1年半以上旅行に行っていないけれど、もともと旅行大好きです。世界中の国・地域を全部訪れるのが夢です。

いままで行ったことがあるところ。

中国、台湾、香港、マカオアメリカ、カナダ、ベトナムカンボジア、タイ、シンガポールインドネシア、ネパール、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア、バチカン市国ギリシャサンマリノカタールニュージーランド。23ヶ国/地域。

くそうコロナ禍が来るとわかっていたらもっとあちこち行ったのに(泣)辛抱するしかありません。

そんなときに村上春樹旅行記ラオスにいったい何があるというんですか?』にぶつかりまして。

僕がラオスから持ち帰ったものといえば、ささやかな土産物のほかには、いくつかの光景の記憶だけだ。

でもその風景には匂いがあり、音があり、肌触りがある。そこには特別な光があり、特別な風が吹いている。何かを口にする誰かの声が耳に残っている。そのときの心の震えが思い出せる。
それがただの写真とは違うところだ。それらの風景はそこにしかなかったものとして、僕の中に立体として今も残っている。これから先もけっこう鮮やかに残り続けるだろう。
それらの風景が具体的になにかの役に立つことになるのか、ならないのか、それはまだわからない。結局のところたいした役には立たないまま、ただの思い出として終わってしまうのかもしれない。しかしそもそも、それが旅というものではないか。それが人生というものではないか。

そうなんです。

ドイツという時にわたしが思い出すのは、凍てついたミュンヘンに降り立ったときの肌が凍る感覚。皮肉っぽい笑顔ながらどこか憎めないウエイトレスが運んできた、熱気溢れるレストランのポテト料理。

カンボジアという時に思い出すのは、蒸し暑い空気の中、道路脇にあまりにも自然に立っていた「この先地雷原あり」の看板。小学校にすらあがっていなそうなマンゴー売りの子供。道端で昼寝していたその子の母親。

断片的な記憶には匂いがあり、肌触りがあり、感傷がある。わたしだけの旅先の記憶であり、宝物。だからわたしは旅行が大好きなんです。

旅行行きたいという熱意を、旅行記を読むことで紛らわそうということで、[テーマ読書]で旅行記を読みます。事前学習にもなるし。

 

エジプト〜トルコ〜中東

篠原千絵先生の『天は赤い河のほとり』『夢の雫、黄金の鳥籠』を読んで以来、トルコとエジプトはあこがれの地です。旅行記じゃなくて漫画じゃん。

天は赤い河のほとり』は、現代日本の女子中学生・鈴木夕梨(ユーリ)が突然古代ヒッタイトにタイムスリップし、わけもわからず生命を狙われながらも、ヒッタイトの第3皇子カイルと恋に落ちてゆく物語。女神の化身として戦場に立ち、エジプトとヒッタイトの戦争を指揮するユーリの姿は圧巻です。

『夢の雫、黄金の鳥籠』は、オスマン帝国最盛期の皇帝スレイマン一世の寵姫・ヒュッレムの物語。ヒュッレムがハーレム(後宮)に来る前、皇帝の寵愛を一身に集めていたのはギュルバハルという女性でしたが、虫も殺さないような顔をしながら、対立する女性たちを次々にボスポラス海峡に沈めて殺害していたという恐ろしさ。その彼女がライバルとしてヒュッレムの前に立ちはだかります。

ヒッタイトはいま、首都ハットゥシャの草むす遺跡が風に吹かれるばかりになっているけれど、スレイマン1世をはじめスルタンが暮らした壮麗なトプカプ宮殿や、荘厳なモスクは、いまもイスタンブールにそびえ立っています。でもギュルバハルの犠牲者たちが沈むボスポラス海峡のクルーズツアーは、ぞっとしないかもしれません。

 

定番中の定番である、沢木耕太郎深夜特急』は、実は未読だったので読んでみました。尾崎豊『15の夜』そのままの気分まかせ風まかせ、自由になれる気がする瞬間を享受しながら旅をする内容で、いまはもうこんな旅はできそうにないと残念がりながらも大変面白く読んだのですが、一番印象的なのは、アフガニスタンの描写が息を呑むほど美しかったこと。その後の内戦と大旱魃で荒れはて、テロ組織の巣というイメージを植えつけられた今のアフガニスタンからは、想像もつかないものでした。行きたい……けど、難しいでしょうね……。

アフガニスタンの風景はこころに沁み入るようだった。とりわけ、ジャララバードからカブールまでの景観は、「絹の道」の中でも有数のものなのではないかと思えるほど美しいものだった。

鋭く切り立った崖が、果てしない壁のように続く奇勝。やがてそこを脱すると澄んだ水が流れる谷間の河に遭遇する。さらに上流に向かって進んでいくと、透明な水をたたえた湖がある。東南アジアからインドにかけての泥のような水しか見られなかった眼には、動悸が激しくなるほどの新鮮さがあった。

駱駝をひき連れた遊牧の民が落日を浴びながらゆったりと砂漠を横切っていく。あるいは砂塵にまみれ、薄汚れた灰色になってしまった遊牧民の包が、二十近くも砂漠の一カ所に固まって張られ、その間から夕餉の支度なのだろう白い煙が幾筋も立ち昇っている。たったひとりで西方のメッカに向かい、一日の最後の祈りを捧げている老人の姿もあった。

山を上り、下り、また絶壁を通り過ぎ、ふとバスの後部のガラス窓から今まで走り過ぎてきた辺りを振り返ると、そこには赤く夕陽に色づいた山々に囲まれた平原と、その中を微かに蛇行しながらキラキラと光を放って流れている河があり、思わず息を呑んでしまう。その気配に誘われるようにして、他の乗客も後を振り返り、私と同じように息を呑む。まさに暮れようとしている薄紫色の世界の神秘的な美しさに、乗客はみな茫然と眺めているばかりだ。

夕陽を隠す西の山と、その光を受ける東の山と、それらに囲まれた一台のバス。この広大な砂漠に在るのはただそれだけだった……。

 

マイナーところでは、中国出身の文化史学者にしてエッセイスト、余秋雨が書いた旅行記をみつけました。

著者は香港を拠点とするフェニックステレビの番組企画として、ギリシャから出発、エジプトからイスラエルパレスチナイラク、イラン、パキスタン、インド、ネパール、中国西部に至る長大な旅路をオフロードカーで取材チームとともにたどり、道中見聞きした歴史、文化、民族、生活習慣などを、衛星放送を通して毎日リポートしました。そのときの旅日記をまとめたのが『千年一嘆』という旅行記です。

文化史の専門知識に裏付けられたさまざまな雑学を楽しめる一方、イスラエルに入国したことがイラクの入国審査時にバレたらビザ取消しになるため、砂漠の中で荷物を広げてイスラエルで買った土産品を捨てなければならなかった話、食事が口に合わなくてひどく苦労した話、テロリストが出没する道路を夜間運転しなければならなかった話、衛星中継設備を使用禁止にされて一時的に本社に連絡出来なくなり、香港で「身代金目的でテロリストに誘拐された!?」と大騒ぎになった話など、スリリングなエピソードも山盛り。

余秋雨の文化苦旅―古代から現代の中国を思考する

余秋雨の文化苦旅―古代から現代の中国を思考する

  • 作者:余 秋雨
  • 発売日: 2005/12/01
  • メディア: 単行本
 

中国人著者ならではの限界はあるけれどーーたとえばネパールはチベット仏教の強い影響を受けているけれど、チベットの歴史は中国政府にタブー視されており、旅行記中ではほとんどふれられていないーー笑いあり、ほっこり話あり、スリルありのエピソードがふんだんに盛りこまれ、読み終えるのがもったいないほどの面白さでした。

 

チベットにふれられていないのが物足りないので、河口慧海師の名著『チベット旅行記』もついでに読破。チベット清朝に支配されながらもチベット人自身による自治権をある程度保っていたころ(これも中国政府にとってふれられたくない歴史)の旅行記

チベット旅行記(上) (講談社学術文庫)

チベット旅行記(上) (講談社学術文庫)

  • 作者:河口 慧海
  • 発売日: 2015/01/10
  • メディア: 文庫
 
チベット旅行記(下) (講談社学術文庫)

チベット旅行記(下) (講談社学術文庫)

  • 作者:河口 慧海
  • 発売日: 2015/02/11
  • メディア: 文庫
 

頃は明治。チベットは厳重なる鎖国制度をとり、外国人入国を手引きしたことがわかればたとえ徳ある僧侶であろうと容赦なく死刑判決を出していたころ。

著者の河口慧海は仏教を信ずる僧侶であり、仏教未伝の経典がかの地にあると聞き、経典を求めて、大変な苦労をしてチベット入りしました。チベットの言葉を学んで現地人にも負けない語学力を身につけ、関所を避けて深山幽谷の雪深い抜け道を踏みしめ、敬虔な仏教巡礼者として行く先々でさまざまな協力者を得て、ついにネパールからチベットの国境を越えることに成功したのです。

明治三十年六月二十六日に出立して明治三十三年七月四日にこの国境に着いたのであるから自分の予期の違わざりし嬉しさに堪えられなかったです。とにかく身体が非常に疲れて居るからまずその辺で一休みとこう思うたけれども雪ばかりでどうもよい所がない。……そこでまあ袋の中から麦焦しの粉を出して椀の中に取り入れそれに雪と幾分かのバタを加えてうまい具合に〈捏〉ねるです。それからまた一方の椀には唐辛子と塩とを入れて置きまして、そうして一方の麦焦しを雪とバタとでよく〈捏〉ねてその唐辛子の粉と塩とを付けて喰うのです。そのうまさ加減というものは実にどうも極楽世界の百味の飲食もこれに及ぶまいかと思うほど旨かったです。

その後も著者は大変な苦労をして雪山や凍える川や草原を越え、強盗に有り金をほとんど巻き上げられ、足の痛みに苦しみながらもガンジス川ブラマプトラ川の源があるマナサルワ湖(仏教浄土でありインド教でも霊地とされる)を巡礼。最終的にはラサにたどり着きました。道中、信心深いチベット人たちとの出会い、地理、風土、生活習慣(当時のチベットは多夫一妻制)、言葉についても書いているのですが、これがとても詳細で面白いのです。

チャチャン・ペンマということは茶と酒と代るがわる飲むという意味の言葉で、チベットでは例のバタを入れた茶とそれから麦で製造した薄い酒とを代るがわる飲みますのをもって無上の快楽として居る。これは大変に財産の豊かな者でなければ出来ない。で気風もまたバタ茶と酒の快楽を極めることに傾いて居るのみならず、ほとんど人の目的であるかのごとく心得て居るのである。普通社会の快楽なる究竟の状態を言い顕わすにはチャチャン・ペンマという一語で事が足りて居る。

 

エジプト〜トルコ〜中東はぜひぜひぜひ行きたい国ばかりですが、たとえばトルコとエジプト、2ヶ国一度に行こうとすると、10日間周遊で主要観光地を急ぎ足でめぐるようなツアーばかりです。余裕があるならそれぞれ別々に、10日間ずつ訪れたいです。定番観光地をならべてみました。

『千年一嘆』によれば、イスラエルアラブ諸国と対立しているため、パスポートにイスラエルの入国記録があると、アラブ諸国に入国拒否食らうそうですが、それはいまでも変わらないようなので、残念だけれど後回し。

イラン、イラクパレスチナは…当分無理でしょう。かつて「世界の半分」と称されたイランのイスファハンはぜひこの目で見てみたいです。イランの定番観光地をリストアップしてみました。

いつか行きたい。生きているうちにきっといつか。