コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

ビジネスで使う機械学習 (谷田部卓著)

人工知能に続き、勢いに乗ってもう一冊機械学習の本を読んだ。この本は機械学習の原理と種類を解説しているが、小難しい数式をほとんど使わず、図表で説明しているのですらすら読める。

機械学習の基本は統計学であり、その出力データはすべて確率で表現される。

機械学習で気をつけるべきは、問題によって適切なアルゴリズムを選ぶが、それには試行錯誤が必要であり、正しいデータを学習させることが必要である、とも著者はいう。

この辺りに、新しい仕事のチャンスがあるのかもしれない。

よく機械学習に基づくAIは人間の仕事を奪うと言われるが、一方でAIによって生まれる新しい仕事があるとも言われている。適切なアルゴリズムを選ぶ。AIに学習させる質のよいデータを準備する。これがいずれ専門職になることもありそうだ。

一方で、難しいのは、AIに仕事を奪われた人々が、AIが生み出した仕事に就けるとは限らないことだ。

たとえばレジ係はAIによってなくなるであろう仕事の一つに挙げられているが、元レジ係がそのままアルゴリズムを選ぶ仕事に就けるわけではないだろう。その時彼らはどうなるのか?  AIを導入する予算のない小規模スーパーで働くだろうか。それとも別の仕事を見つけるだろうか。AIの恵みを受けられる人と受けられない人の間に、しだいに格差が広がるのではないか。

かつて読んだ「銀河鉄道999」を思い出す。機械の体を買えるお金を持った人間は高層ビルが建つ大都会で永遠の生命を送り、そうでない生身の人間は薄汚れた下町でやっとのことで生き、時には機械人間の気まぐれな狩りにさえあっていた。機械人間は食事をしないから、生身の人間のための食料生産さえだんだんとしなくなり、「本物の」ラーメンがたいへんなごちそうだった。技術の恵みを受けられる人間と受けられない人間が残酷なまでに分けられていた世界。あのような世界が現実になるかもしれない、というのは悲観的すぎるだろうか。

 

(2018/03/09 追記)

読み返してみると、手法としての機械学習紹介を目的とする本であり、それをどうビジネスに利用出来るかは読者の試行錯誤(と想像力)に委ねられている。

これは少々おかしな話で、「将来の株価を予測したい」「商品トレンドを予測したい」などのビジネス利用目的から予測対象が決まるはずだ。それを決めずに「うちの会社にある膨大なデータを機械学習させてみたらなにか出てくるだろう」というふうに考えるのであれば、どうビジネスに利用出来るか、答えられないのも無理はない。この辺の話が書かれていればもっと面白かったのにと思う。

機械学習の元となる統計手法自体は古くからあるもので、どのような目的で使われるのが適切なのかについて、研究されていてもよさそうなものだ。それが紹介されていないのは、統計手法の研究が不十分なのか、機械学習の手法が統計手法をベースとした新しいもので、どう使うのが適切なのかだれも分からないかだと思うが、おそらく後者だろう。

著者は機械学習の応用先として、予測、識別、実行の三つをあげている。このうち「識別」「実行」はどう利用出来るか議論が進みやすそうだが、厄介なのは「予測」だ。なんらかの結果が出てきたところで果たしてそれは正しいのか?  このことを、未来予知能力をもたない人間が判断できないところに問題がある。著者は本の最後にこの点を取り上げている。

AlphaGoは人間に1回だけ負けました。最大の問題は、研究チームでさえ AlphaGoが、あの局面でなぜあのような手を打ったのかが、解明できないところにあります。 Deep Learningは、基本的にデバックのしようがありません。正しい教師データを与えることしかできないのです。この意味は非常に重大で、 AIが人間社会に進出した場合、 AIが判断ミスをしても原因究明は困難を極めることになるからです。