プラットフォームとは、著者の定義によると「個人や企業などのプレイヤーが参加することではじめて価値を持ち、また参加者が増えれば増えるほど価値が増幅する、主にIT企業が展開するインターネットサービス」のこと、すなわち仕組みの一種である。検索エンジン、アプリストア、食べログなどの情報ページ、SNS、楽天などのオンラインショップ、すべてにこの定義があてはまる。
プラットフォームそのものよりも、その運営に欠かせない共有価値観をこそもっとも大切にするべきだと著者はいう。例えばGoogleの共有価値観は「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」だ。
では、彼らはそれでなにを成し遂げたいか?
情報整理ができたら、効率よく使うことが次にくるだろう。Googleはさらに踏みこんで「情報整理や情報取得などの雑念にとらわれることなく、目の前のできごとに集中できることで、なんでもない出来事からも高い満足感をえられるようにすること」をめざす。
例えば職場。同僚との情報交換がうまくいかなくてイライラしたり、どこに情報があるか分からなくて探すのに手間取ったり、優先度をつけられなかったり…よくある。ではそれをGoogleが代わりにやってくれたらどうだろう? 余計な雑念にとらわれることなく、よりよい仕事戦略を考えたり、あるいは早く帰って家族とすごしたりできるようになるかもしれない。
そういう「マインドフルネス」な世界をGoogleはめざしており、そのための投資や開発をしている。こう考えると、Googleの新製品を見る度に、そのコンセプトがGoogleの共有価値観にどうあてはめるのか、考えるのが面白くなる。
(2018/04/15 追記)
ふと思ったことだが、マインドフルネスも、人工知能 (およびそれにより人間の仕事が代替されること) も、この情報社会であまりにも増えすぎてしまった雑用から人間を解放してくれるのかもしれない。著者はこう表現する。
私たちは過去や未来のさまざまな雑念にとらわれることなく、目の前の出来事に集中できるようになります。そして、なんでもない出来事からも高い満足感を得られるようになるのです。
雑用が少なくなれば、(富の再分配の問題はあるにせよ) それぞれの人間が、本来やりたいことに使う時間をもっと増やせるかもしれない。たとえば創作活動であったり、アウトドアスポーツであったり、旅行であったり、ひとり深く思索することだったり、それでも仕事が好きだから仕事する人もいるだろう。
人工知能に雑用をまかせることで、人間はひとり深く思索し、そもそも知能とはなにか、生きるとはなにか、といった哲学的問いかけに集中できる。ーーそう考えるとなんだか滑稽だ。ギリシャ哲学の誕生から4000年。この間人類は数限りない技術的進歩を遂げたが、そのあげくたどり着くのが、出発点ともいえる哲学に好きなだけふけられる世界とは。