コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

高学歴なのになぜ人とうまくいかないのか (加藤俊徳著)

このテーマに触れるとき、私はいつもある会話を思い出す。

ある春先の夜、私が通勤電車に揺られていると、背中側から甲高い女性の声が聞こえてきた。若々しく、大学生だろうと思われた。彼女はそばの友達に、バイト先に高学歴なのに使えない新人が入ってきたとしきりに愚痴っていた。自分から動かない、まわりを見ない、チームワークが良くないとさんざんこきおろした彼女は、最後にこう言い放った。

「頭いいってことは、空気が読めるってことじゃないの⁉︎」

この言葉は、そのときの彼女の苛立った口調とともに、今でもはっきりと思い出せる。

 

本書は脳科学者である著者が、一万人以上の脳をMRI (磁気共鳴画像法) で診てきた経験に基づき、高学歴・高偏差値の人々が左側頭葉(記憶系の脳番地)だけを発達させ、ほかは未発達といういびつな状態におかれた結果起こる問題について書いたものだ。

著者は「高学歴な人ほどコミュニケーションが苦手で、駄々をこねて他人を困らせやすい」と断言する。脳科学的にいえば、ある分野で優秀な人たちは、脳の特定の部位(著者はこれを「脳番地」と呼び、視覚、聴覚、伝達、運動、思考、理解、感情、記憶の8系統に分けている) を上手に使っており、それを継続的に発達させる生活を送っている。だがそれは同時に、ほかの脳番地が発達していないことをも意味することが多い。

著者は高学歴高偏差値な人のおかしなふるまいを、脳番地の働きに結びつけて解釈している。たとえばーー

⚫︎知識欲にかられるあまり脳が暴走し、古代文明展で、自分の問いかけに的確に答えられないスタッフを怒鳴りつける。

⚫︎聴覚系の記憶力に優れており、会話の中の矛盾にすぐさま気づいてそこを突く。忘れないことは執念深さと表裏一体であり、他者に対して常にねちねちと言いまちがいや言葉尻をとらえては「それってどういうことですか」と聞き返すことで、優位に立とうとする。言いかえれば、自分の優位性を保たなければ頭が働かなくなる。

⚫︎原理原則を徹底的に追求し、ほぼ例外を許さないというこだわる性格が、基準の範囲を狭くする。正解が複数あることは不安定すぎて居心地が悪いのだ。強固な基準はじつは脳のもろさの裏返しであり、感情や雰囲気など、自分にとって苦手な分野で話が進もうとすると、原理原則をねじこんで自分の意を通そうとする。

⚫︎言語化能力が発達する一方で視覚系が発達せず、絵を見てもなにも感じない。

⚫︎目上の人の前でも「めんどくさっ」と口走る。これは脳が苦手な脳番地を使わず、得意な脳番地で乗り切れないかと試みているときに反射的に出てくる、いわゆる脳のコンディションだ。感情系統を通さない、思考系統と伝達系統だけて出てきた言葉ともいえる。だから言った本人は罪悪感などなく、それが当たり前だとさえ感じている。

これらの光景はどれも実際に見聞きしたことがある。その時は驚いたり呆れたりわけわからんとため息をついたりしたが、なるほど、脳の発達バランスの問題だったのか……と今更ながら脱力感を覚える。

どうりで注意されても直らないどころか、当人は何を言われているのかわからない様子できょとんとしていたわけだ。そもそもそれを認識する脳分野が未発達であれば、わかるわけがない。

 

とはいえ私にとっても他人事ではない。

幸いなことに、著者は未発達な脳番地をどのように鍛えればいいかについてもアドバイスしてくれている。他者分析能力を鍛えるには、他者を見て、他者と言葉を交わす経験が不足しているのだから、それを強制的に行うようにする。次にとにかく運動する。運動系統の近くに感情系統があるからほどよく刺激されて、感情系統を鍛えることも期待できる。チームワークを必要とするスポーツならばなおさら効果が大きい。

自分に足りない部分があることを自覚し、みずからそれを補おうとすることによってのみ、人は成長し生まれ変われるのだ。