コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

孔子 《論語 第十二篇 顔淵》

有名な「己の欲さざるところは人に施すなかれ」など、名言が多く入った篇。順番飛ばして読んでみた。

12-01

顏淵問仁。子曰。克己復礼為仁。一日克己復礼。天下帰仁焉。為仁由己。而由人乎哉。顏淵曰。請問其目。子曰。非礼勿視。非礼勿聴。非礼勿言。非礼勿動。顏淵曰。回雖不敏。請事斯語矣。

顔淵仁を問う。子曰く、己に克ちて礼に復るを仁となす。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰せん。仁を為すは己による。而して人によらんや。顔淵曰く、その目を請い問う。子曰く、礼にあらずは視るなかれ、礼にあらずは聴くなかれ、礼にあらずは言うなかれ、礼にあらずは動くなかれ。顔淵曰く、回不敏なりといえども、請う斯の語を事とせん。

後半の十六文字が名高い。日光東照宮の三猿「見ざる聞かざる言わざる」はまさにこの言葉から生まれた。「動かざる」を彫刻で表現するのは難しかったのか、入っていないのが面白い。
 
12-02

仲弓問仁。子曰。出門如見大賓。使民如承大祭。己所不欲。勿施於人。在邦無怨。在家無怨。仲弓曰。雍雖不敏。請事斯語矣。

仲弓仁を問う。子曰く、門を出ては大賓を見るがごとくし、民を使うには大祭を承くるがごとくす。己の欲せざる所は、人に施すことなかれ。邦に在りても怨みなく、家に在りても怨みなし、と。仲弓曰く、雍、不敏なりと雖も、請う斯の語を事とせん、と。

これも名高い「己の欲さざるところは人に施すなかれ」の出処。一方『賭博黙示録カイジ』にあるように、「本当の意味で人の痛みを自分のものとして感じることはできない」のもまた真理。そこを踏みとどまるのが君子ということかもしれない。確かに『カイジ』の兵藤和尊はとても君子とは呼べない。

12-05

司馬牛憂曰。人皆有兄弟。我獨亡。子夏曰。商聞之矣。死生有命。富貴在天。君子敬而無失。與人恭而有禮。四海之内。皆兄弟也。君子何患乎無兄弟也。

司馬牛憂えて曰く、人は皆兄弟有り、我に独り亡し。子夏曰く、商之を聞く。死生命有り。富貴天に在り。君子敬して失う無く、人とまじわるに恭しくして礼あらば、四海の内、皆兄弟なり。君子何ぞ兄弟無きを患んや。

 司馬牛の兄桓魋は宋国で高い地位にいたが、君主の不興を買い、一族郎党迫害されて故郷を飛び出した。司馬牛氏はあんな奴(桓魋)は自分の兄ではないと言い張る一方、弱音をこぼす。彼をなぐさめるために孔子はいわゆる「人類みな兄弟」という言葉をかける。なんとも人間臭い話だ。
ところで桓魋は小野不由美氏『十二国記』の登場人物の名前でもある。小野不由美氏の中国古典についての知識の深さには驚かされる。

 

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12-08

棘子成曰。君子質而已矣。何以文爲。子貢曰。惜乎。夫子之説君子也。駟不及舌。文猶質也。質猶文也。虎豹之鞟。猶犬羊之鞟。

棘子成曰く、君子は質のみ。何ぞ文をもってなさんと。子貢曰く、惜しいかな、夫子の君子を説くや。駟も舌に及ばず。文はなお質のごとく、質はなお文のごときなり。虎豹のかくはなお犬羊のかくのごとし。

 孔子は、優れた人格は内に秘められて人目に触れることはなく、それを適切に表現するのが「礼」だと考えた。だから孔子はあれほど礼にこだわる一方、心無いふるまいを嫌った。

12-09

哀公問於有若曰。年饑用不足。如之何。有若對曰。盍徹乎。曰。二吾猶不足。如之何其徹也。對曰。百姓足。君孰與不足。百姓不足。君孰與足。

哀公、有若に問いて曰く、年饑えて、用足らず。これを如何せん。有若こたえて曰く、なんぞ徹せざるや。曰く、二だにも吾なお足らず。これを如何ぞ其れ徹せんや。こたえて曰く、百姓足たらば、君孰れとともにか足らざらん。百姓足らずんば、君孰れとともにか足らん。

世の政治家全員に聞かせたい名言。国家は国民からの税収で成り立つ。国民が富めば国家も富み、国民が富まずに国家が富むことはない。

12-21

樊遅從遊於舞雩之下。曰。敢問崇徳。脩慝。辨惑。子曰。善哉問。先事後得。非崇徳與。攻其惡。無攻人之惡。非脩慝與。一朝之忿。忘其身以及其親。非惑與。

樊遅従いて舞雩の下に遊ぶ。曰く、敢えて徳を崇び、慝を脩め、惑いを弁ずるを問う。子曰く、善いかな問いや。事を先にして得るを後にす。徳を崇ぶにあらずや。其の悪を攻め、人の悪を攻めず。慝を修むるにあらずや。一朝の忿りにその身を忘れ、以て其の親に及ぶ。惑いにあらずや。

感情に対する孔子の考え方を述べた句。一時の感情で動けば、自分だけではなく、親しい者にまで害が及ぶと戒める。一般的な道徳倫理であり、乱世には必須の処世術かもしれない。

12-23

子貢問友。子曰。忠告而善道之。不可則止。毋自辱焉。 

子貢友を問う。子曰く、忠告してこれを善道し、不可なれば則ち止む。自ら辱しめらるることなかれ。

友に対する孔子の考え方を述べた句。友人との間には信頼関係がなにより大切だ。友人の過ちには真摯に忠告するが、それでも改善されなければ、しつこく言っても「自ら辱めらるる」、相手の怒りを買うだけなので、忠告をやめるのが大切だと説く。一見突き放しているようだが、ここには(賛成できないにせよ)友人の選択を尊重する考えがある。とはいえ孔子は別の句で「自分と志同じくする者を友とすべき」とも書いているので、根本的な考えがあわなければ友人をやめるべきとも読める。