コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

貧乏の神様 芥川賞作家困窮生活記 (柳美里著)

初めて柳美里の作品を読んだのはベストセラー「命」を母親が買ってきたときだ。最初の方に、ガンを患った東由多加のためにいわゆる民間療法で高額な食品類を山のように買いこんでいること、常に原稿書きに追われまったく余裕がないこと、妊娠初期なのに妊娠中毒症を心配されるような生活をしていることが赤裸々につづられていた。一言で言えば「むちゃくちゃ」で、この人は狂気の沙汰の中で生きて書いているのかと衝撃を受けた。

あれから10年以上。この本を読んだところ、柳美里はあまり変わっていないようだ。しょっちゅうお金繰りに行き詰まり、さまざまな料金を滞納し、飼っている猫が病気になればお金がないのにといいながら大金払って治療を受けさせ、時には原稿料未払問題で直接出版社と交渉し、時には鬱状態で何もできなくなりながらなんとか書こうと悪戦苦闘している。日々綱渡りの生活をする一方、文章には前向きさも後ろ向きさもあるわけではなく、ただ柳美里の目から見た現実を文字にし、生きるために血のにじむような思いで文字を書きとめている。

柳美里の文章には不思議な迫力がある。現実を自分が認識したままに書いているから主観的文章そのものなのだが、不思議に、「読者に耳触りがいいようにつけ加えた」文章がただの一文もない気がする。どの文字も柳美里が書く必要があると心底思うから書いているのであって、読者受けがいいとか、印象に残るとか、そういう視点から書くべきかどうか判断することはない。そう感じる。