コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

母娘関係に悩んだときに読んでみた『となりの脅迫者』

 

となりの脅迫者 (フェニックスシリーズ)

となりの脅迫者 (フェニックスシリーズ)

 

 

『毒になる親』の著者、スーザン・フォワードによる本。一行目からトラウマを刺激にくる、心当たりがある人が精神的に弱っている時に読むのを控えた方がいい本。

週に一度、夜間講座に通いたい、と夫に言ったんです。すると夫は、いやに穏やかな、そのくせ結構きつい口調でこう言うんですーー「好きにすればいい。どうせきみはいつも自分の思い通りにするんだから。ただし、きみが帰ってきても、いつもぼくが家で待ってるなんて思わないでもらいたい。…

「きみがそうするなら、ぼくとの信頼関係/愛情/幸福にひびが入るかもしれないよ(それが嫌ならやめるんだね)」という恐喝以外のなにものでもないこういう言動。著者によれば、人間関係の軋轢はコミュニケーションスタイルの違いよりも、一方がもう一方の犠牲のうえに自分の思いを通そうとすることから起きるものだという。そこにあるのは単なる「伝達不十分」ではない。上の例で見る心理戦であり、力の闘いなのである。

著者はこの手の心理的恐喝をエモーショナル・ブラックメールと呼ぶ。「私の言う通りにしなければ、きみは苦しむことになるだろう」という基本的脅しを含んだやりとりで私達の心を操ろうとするときに使う強力な手段だ。ブラックメールの特性は六つ。要求、抵抗、圧力、脅し、屈服、繰り返しだ。

人間は誰でも「ホットボタン」と呼ばれる弱点を持っている。そのボタンに触れられると、それまでの人生で心にためこんできたいらだちや後悔、不安、恐怖、怒りなどが飛び出してくる。ボタンのひとつひとつにはいまだ決着をつけられずにいるさまざまな心理的課題、すなわち怒りや罪悪感、不安感、傷つきやすさがためこまれている。近しい人のホットボタンに気づくのは、充分時間をかけて観察すれば誰にでもできる。そして、ブラックメールの発信者に利用される。

一方、ブラックメールの発信者は、自らも強烈な喪失不安を抱えている。いったんフラストレーションを感じると、それが単なる挫折や落胆以上に、根深く連鎖的な喪失不安につながる、すぐにでも行動を取らなければ耐えがたい結果が生じる、という警告だと受け止める。ゆえに厳しい手段に出なければ自分にちゃんとした生き方をするチャンスがなくなると思いこむ。それがブラックメール発信のきっかけになる。

 

問うべき重要な質問がある。

ある人物とのあいだになにか問題が生じたとしよう。その人は問題解決に関心があるのだろうか。それとも、あなたに勝利することのほうに関心があるのだろうか。

この質問にどう答えるかで、心理的恐喝が生じる可能性の高さが違ってくる。

 

私はこの手の話題が苦手だ。母親がまさに心理的恐喝の達人だったからだ。

幼いころから、母親の意に沿わない言動をすれば、最初は優しく諭し、次第に泣き声混じりになるーー「どうして分かってくれないの?  お母さんはあなたのためにこんなに尽くしているのに、どうしてこんなに我がままなことを言うの?」これが出ると試合終了だ。まだ子どもだった私、経済的にも心理的にも両親に依存しなければ生きていけなかった頃の私に、どんな反応ができるだろう?

私が母親の泣き落としに少しずつ抵抗出来るようになったのは大学生になってからだが、それは実家住まいながらアルバイトを始めることができ、経済的に多少なりとも母親から独立できるようになったことと無関係ではないと思う。泣き落としと抵抗ーーたいていは「お母さんがどれだけ子育てに苦労したかは、今話してることと関係ないよ」という言葉ーーの闘いは十年近くにわたり、結局私が一人暮らしを始めて両親から物理的距離を置くまで続いた。それでも完全になくなったわけではなく、実家に戻るとたまにまた上記の心理的戦争を繰り返す。

おそらく、私が母親の泣き落とし作戦をどんなに憎んだか、一方で母親の要求を満たさない自分自身にどんなに失望感と無力感を抱いたか、それが私の自尊心形成にどんなに打撃を与えたか、母親は死ぬまで理解することはないだろう。

こういう経緯で、私のホットボタンは著者言うところの「認められたい病」、何がなんでも認めてもらわねばならない、好意を持ってもらわねばならないという思いこみになる。

これを克服するために、私は著者が用意している自分自身との契約書にサインする用意があるーー

 

私は自らを選択の自由がある成人と認め、私の対人関係及び私の人生からブラックメールを排除するために、積極的に行動することを誓います。その目的を達成するためにーー

⚫︎私は自分自身に対して、今後自ら進んで恐怖心、義務感、罪悪感によって自分の決断を左右されないことを約束します。

⚫︎私は自分自身に対して、この本でブラックメールとの闘い方を学び、それを自らの人生で実行に移すことを約束します。

⚫︎私は自分自身に対して、今後私が後退的な態度を取ったり、挫折したり、もとの行動パターンに逆戻りしたりするようなことがあっても、それを努力をやめる口実に使わないことを約束します。失敗は、それを教訓として利用するかぎり、失敗ではないことを理解します。

⚫︎私は今回の行動に際して、自分を大切にすることを約束します。

⚫︎私は、積極的な行動をとったときには、それがどれほど些細なことであれ、それができた自分を評価します。

 

 

(2019/09/30追記)

子どもができたのをきっかけに母親との関わりが増え、ぶつかりあうことも増え、配偶者になだめられねばならないことも出てきた。このままではいけないと思ったから、もう一度本書を読み返し、モラハラ関係のブログを読み返し、配偶者を不快にさせることなくこの手の人間とつきあう方法を学びなおすことにした。

大切だから「私を心配させないで」「私の気持ちをわかってくれないの?」などの言葉に屈してしまうのなら、究極的には大切に思うことをやめればいいのだけれど、そこまでいく前にこう言えるようになりたい。

「心配で言ってくれているのはわかるけれど、私の考え方はあなたとは違う。あなたがその言い方をするのは気持ちよくない。この際話しあうべきは、どちらが理にかなっているのかだ。私があなたのいうことを聞かないためにあなたが悲しむのは、また別の話だ」

泣かれようが拗ねられようが、罪悪感を抑えてまずははっきり伝える。そこから始めたい。

始められるということが、まだその人が大切であるということだ。その人との関係をちゃんとしたものに作り変えたいということだ。本書の作者もそこを念押ししている。

ひとつだけはっきりさせておきたいのは 、大切な人があなたにエモーショナル・ブラックメール(以下、「ブラックメール」)を仕掛けているからといって、それでその人との関係が呪われているわけではない、ということである。私たちが大切な人からブラックメールを受けていることを正直に認め、自分を苦しめている行動を改め、それによってより強固な土台の上にその人との関係を築き直す必要がある、というだけのことだ。

モラハラ関係のブログをまとめているサイトを見つけたので、アドレスを貼っておく。

モラハラブログまとめ10選/厳選されたおすすめをご紹介