コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

バッタを倒しにアフリカへ (前野ウルド浩太郎著)

 

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 

面白いとネットで評判になっていたので読んでみたが、なるほどこれは強烈に印象に残る。開始2ページで目が点になる本はそうないと思う。

(バッタアレルギーをもつ著者が) 自主的にバッタの群れに突撃したがるのは、自暴自棄になったからではない。

子供の頃からの夢「バッタに食べられたい」を叶えるためなのだ。

実際にバッタの群れが女性観光客を巻きこみ、緑色の服を喰ったというニュースがあったとかなかったとか。バッタの群れに喰われたいとは旧約聖書の読みすぎか? と心配になるが、昆虫研究で博士号を保持している著者の前野氏、大真面目なのだ。

著者が研究しているのはサバクトビバッタモーリタニアを始めアフリカで大発生しては農作物に壊滅的打撃をもたらしている昆虫だ。旧約聖書にも、モーセ出エジプトを妨害したファラオへ、主が下したとされる十罰の第八として登場する。後になるほど罰が苛烈になっていくから、十あるうちの八番目に選ばれたのはそれだけひどい災いであったことを意味する。(ちなみに第九の災いは三日間陽が昇らない「暗闇の災い」、第十の災いはすべての長子が死に絶える「長子皆殺しの災い」である)

壊滅的打撃をもたらすサバクトビバッタだが、野外観察の資料は意外に少ない。バッタの大群発生自体が不定期であり、アフリカという地域も制約条件になっていた。そこに目をつけたのが著者。研究テーマにあっていたからという理由のほかに、ポスドク就職対策という面もあった。「高学歴ワーキングプア」という言葉が本のタイトルになるような時代、ポスドクの就職競争は熾烈だ。誰もやっていないことを研究して論文を出す必要がある。そこに著者は賭けた。

 

この本の魅力は、サバクトビバッタにかける著者の情熱(ほとんど愛する女性を追いかけて口説く勢い)もさることながら、ポスドクとして論文を出さねばならないプレッシャー、そのために被害が出るリスクがあるのを承知で「オレが観察してからバッタを駆除してくれ」と研究所長に頼みこむエゴ、そういったすべてを建前なしで、まるで少年のような素直さでがんがん書いていることだと思う。

そこに、見知らぬ異国であるモーリタニアの生活を写真付きで紹介することでかきたてられる好奇心が加わる。ヤギの内臓を豪快に煮込んだ料理。手づかみの食事。太った女性が魅力的とされる慣習。娘を太らせるかどうかで夫婦喧嘩をする運転手。サソリやヘビがうろつく砂漠。ヘビは水のあるところに近づくからテントでは枕元に水をおいてはいけないという豆知識などなど…。風習も言葉も全然違うサハラ砂漠の国での日常は、魅力たっぷりの非日常だ。

とくに「裏やぎ」のくだりは暗記するほど読んでいるにもかかわらず、毎度笑わずにはいられない。生きたバッタが必要な著者と、被害が出る前に一刻も早くバッタを退治しなければならないと主張する所長の間で衝突が起こったとき、著者は所長の説得をあきらめ、砂漠でバッタと戦う男たちに直接連絡した。その際に著者いわく「お近づきのしるし」に差し出されたのが、モーリタニア人がもらって喜ぶ贈り物ナンバーワンのヤギ、それも豪快に一匹丸ごと。腹一杯食べて満足なバッタ駆除隊に「バッタの大群を見つけたら退治する前に連絡をくれ、そうしたらまたヤギを片手にすぐ駆けつけるから」と耳打ちしたところ、「まったく問題ない」との返事。後に所長にも熱意を認められ、なんとか退治前にバッタの大群を観察研究するわずかな時間を確保できた。

このエピソードは異文化コミュニケーションの成功例として小学生の教科書に載せてもいいのではと半ば本気で思っている(道徳の教科書にはちょっと似つかわしくないかもしれないが)。こちらの希望と向こうの希望が違うのはよくあることで、どちらの言い分も正しく、立場が違うだけであること。問題解決のためには話し合うだけではなく、まわり道して直接担当者に頼みこむ手もあること。その際相手にメリットを提示すれば、話が通りやすくなること。いずれも大切なことで、これをわかりやすいエピソードで小学生に教えるのは、とても意味があると思うのだ。

実際に住んでみたら苦労の連続だろうが、著者は酒の席で語る面白エピソードをまとめるかのごとく、ふふっと笑いたくなるように書いている。私自身は虫が苦手だが、読んでいて著者を応援したくなるような一冊だ。