コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

私はこうして受付からCEOになった (カーリー・フィオリーナ著)

著者はロースクール中退後、小さな不動産会社の受付からキャリアをスタートさせ、AT&T、そこから分社化されたルーセントを経て、ヒューレット・パッカード(HP)のCEOに着任し、やがて会社買収の件で創業者一族と対立し、ついには取締役会の決議により解雇された。著者は世界で最もパワフルな女性50人に選ばれたことがあるが、本人は女性であることを評価項目にしてほしくないと常に考えている。

志半ばにしてCEOを解雇されたことについて、敗軍の将である著者は多くを述べていない。そもそも取締役会決議により解雇されたことを通達されただけで、そこで何が話しあわれたか詳細を知っているわけではないし、あまり多くの内幕に触れては機密保持違反になりかねない。それでも著者の筆の端々から、読者はヒューレット・パッカードという鈍重な大会社、複雑で非効率的な組織体制、創業者一族の立場、従業者達の考えを垣間見ることができる。

著者が多くの紙幅を割いて述べているのは、いくつもの決断のこと、勇気をもって厳しい選択をしてきたことだ。著者は正しい選択、己の心に恥じない選択をしてきたと信じている。ゆえにCEO解雇のような挫折に遭っても心折れてはいない。

この本の原題は”Tough Choices”。自分の人生は自分で選ぶ。著者の姿勢は一貫しており、これ以外はすべて枝葉末節にすぎない。

 

(2018/03/24追記)

読み直してみて、この本のもう一つの側面は、アメリカのビジネス社会で女性が生き抜くとはどういうことかを生々しく書いたノンフィクションであることだと実感した。

日本は男女平等社会といいながら、育児などによって正社員をあきらめて派遣社員に切りかえる女性や、昇進機会の少なさに不満を抱く女性、逆にそれを利用して女性幹部登用をアピールする企業など、現実には一筋縄ではいかない。だがこの本を読めば、アメリカ社会がさらに容赦ないことがはっきりする。父親が連邦判事を務める中流家庭に生まれ、人種差別が隠然とはびこる社会に生きる白人女性である著者さえ、だ。

「ねえ、カーリー。私が発表者だったら、たとえ私を知らない人でも、この男が低脳だとはまさか初めから思わないだろう。だが、君はそう思われてしまう。君は、実力で説得しなければならないんだ」

タフでもなければスマートでもないと見なされることが多い中、著者がふまえたのは原理原則を曲げないやり方だった。アメリカのような移民国家では、チームメンバーに同じ方向を向いてもらうことさえ一苦労だ。最後は合理的判断、原理原則、人間関係がものをいう。その上で著者がよりどころにしたのが、正しい選択をしたという信念だ。