コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

明日からの世界を生きるために知っておこう『昨日までの世界 (上)』

寝苦しい夜に目覚めて、夜明けまでの退屈しのぎにこの本を読んでいる。

昨日までの世界とは、現代西欧社会とは違う伝統的社会のこと。人類は300万年前にチンパンジーから進化し、1万1千年前にしだいに古代文明を発展させた。現代社会の礎ができたのはつい数百年前のこと、それまではさまざまなしくみの伝統的社会が世界各地に存在し、ときにはぶつかりあって、互いに征服しあってきた。著者は伝統的社会で行われていたことを研究することによって、現代社会に取り入れる価値があることを学び、また現代社会のすぐれているところを再確認するためにこの本をまとめた。

その意義を著者は、研究者の見方から簡潔に述べている。

伝統的社会は、人間の生活を組織するために1000年単位の時間をかけておこなわれた数千もの自然実験を体現している。今日存在する何千もの社会を設計しなおし、何十年も待ってからその成果を観察する方法でこれらの実験を繰り返すことはできないので、われわれはすでに実験が行われた社会から学ぶほかない。

 

上巻の内容は、戦争、子育て、高齢者。高齢者についての「昨日までの世界」では、姥捨山にみられるような冷酷な記述もあり、読み進めるにはすこし胆力がいった。

読み進めるにしたがって、この本が親世代やその上の世代がもつ価値観を理解するためのとてもすぐれた本であることにも気づいた。たとえば、なぜある家庭でのいざこざに隣近所があたりまえのように口を出すのか、なぜある人が起こした問題はその人だけの問題ではなく、その人の親兄弟や親戚の問題と思われるのか、なぜ地域によっては警察よりも自治体会長のいうことを聞くのか、といったことである。

著者は「昨日までの世界」ではこういったことがごくあたりまえだったと紹介する。国家司法が裁判を肩代わりするようになったのはここ数百年から数千年のことで、それまでは部族間でいざこざを解決していた。親戚縁者間はお互いに行き来があったり貸し借りがあったりするのが普通で、利害関係が複雑だし、問題が起こり、それが一族以外の集団であれば、報復対象は本人、本人が逃げればその家族、家族に手出しできなければその一族、という風に広がっていく。つまり本人同士の問題だけではなく、文字通り「自分たちも無関係じゃない」のだ。だから口を出し、仲介役を買って出る。その名残がいまでも続いている。

今、自分が生きている世界と「昨日までの世界」を比べてみること。そうすることで両親の、祖父母のもつ価値観をよりよく理解できるだけではなく、これから未来にむけてどのような社会をつくっていきたいか、考えるきっかけになる。素晴らしいきっかけをくれる本だ。