コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

孔子《論語 第十三篇 子路》

孔子の「論語」を読んでいく。今回読むのは《子路篇》、孔子の弟子である子路が、孔子との対話をまとめた部分。その中で心に残ったものをいくつかブログに書きとめる。この篇では孔子の理想主義者なところがとてもよく出ている。

 

13·3 ......名不正则言不顺,言不顺则事不成,事不成则礼乐不兴,礼乐不兴则刑罚不中,刑罚不中,则民无所措手足。故君子名之必可言也,言之必可行也。君子于其言,无所苟而已矣。

......名正しからざれば則ち言順わず、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中たらず、刑罰中たらざれば則ち民手足を措く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子、其の言に於いて苟くもする所なきのみ。

少し長いけれど引用したのは、この一節が面白い価値観を反映しているからだ。

「名目が正しくなければ、話の筋道が通らず、話の筋道が通っていなければ政治は成功しない。」

この「名目」がくせもので、君臣・父子などの名分を正すというもの、すなわち立場・ポジションのこと。この篇は「君主になればそれらしいふるまいを求められる」とも「君主になれば (内容ではなく) 立場で話の筋道を通すことができる」とも読める。さて、現代社会はどちらやら。

 

13·18 叶公语孔子曰:“吾党有直躬者,其父攘羊,而子证之。”孔子曰:“吾党之直者异于是:父为子隐,子为父隐,直在其中矣。” 

葉公、孔子に語りて曰く、吾が党に直・躬なる者あり。その父、羊を攘みて、子これを証す。孔子曰く、吾が党の直き者は是れに異なり。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きことその中に在り。

たまに (現代から見れば) 変なことを言う孔子さん。

葉公が「うちの領土に父親の盗みを告発した息子がいる。すばらしい正直者だ」と言うと、孔子は「父親のために黙っていることこそ良いのだ」と反論。父親の不利になることをしないのが親孝行であり、孝行はなによりも優先すべきことである、というのが孔子の考え方だ。現実にも身内の犯罪をかばう人は多々あるけれど、もしかしたら孔子のこの教えを聞いたことがあるのかもしれない。私は葉公に賛成だが。