コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

忘れ去られたアメリカ『ヒルビリー・エレジー』

 

Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis

Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis

 
ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

 

2016年のアメリカ大統領選挙で、この本は一躍注目を浴びた。白人労働者層がなぜトランプ氏を熱狂的に支持しているのか、この本を読めば理解できるという評判が広がったからだ。

大統領就任から二年経ち、中間選挙共和党は上院を死守したが、下院で民主党過半数を奪われた。トランプ氏は相変わらずやることなすことムチャクチャであり、これからもそうだろう。だがそれでも、トランプ氏を大統領選勝利に導いた白人労働者層は(少なくともその一部は)いまだに、トランプ氏が自分達の生活を豊かにしてくれると頑なに信じている。

傍から見ればおかしなことに思える。ビル・ゲイツと並び称される資産家であるドナルド・トランプが、貧困にあえぐ白人労働者層の思いを理解できるとはにわかには信じがたいのに、彼らの心をがっちりつかんでいる。社会福祉拡大だの、労働機会創出だの、どれも政治家が貧困対策としてよく使う手なのに、彼らは誰一人トランプ氏ほどの支持を得ていない。

何が彼らをそう信じさせるのだろう?  それを探るためにこの本を読んでみた。

 

ヒルビリー・エレジー(田舎者の哀歌)というタイトルの本書は、ヒルビリー階級出身でありながら、アメリ海兵隊オハイオ州立大学、イェール大学ロースクールを経て、弁護士になった著者が、自分が属していた世界を振り返りながらできるだけ正確に書き起こした半生記。

貧困と暴力、低教育水準、アルコールとドラッグにまみれ、運が良ければ生活保護を免れるが、運が悪ければヘロインで生命を落とす人々が、著者の親兄弟であり、愛する祖父母や親戚達であり、友人達であった。

ヒルビリー(田舎者)と称される彼らには共通点がある。自分自身の選択が将来に影響すると信じないこと、問題は自分ではなく移民や社会システムなどの外部にあると信じること、不都合な事実をないもののようにふるまうこと、問題解決には議論よりも暴力を使うこと。彼らが厳しい貧困を生きぬくためには都合の良いものだけを見ることで正気を保つ必要があるが、そうすることは同時に彼らが貧困から抜け出す力を奪う。

社会学者のキャロル・A・マークストロム、シーラ・K・マーシャル、ロビン・J・トライオンは、2000年12月に発表した論文で、アパラチアのティーンエイジャーには、自分にとって嫌なことを回避し、都合のいいことだけを採用するという「明らかに予測可能な抵抗性」が見られる点について言及している。

その論文によると、ヒルビリーは人生の早い段階から、自分たちに都合の悪い事実を避けることによって、あるいは自分たちに好都合な事実が存在するかのように振る舞うことによって、不都合な真実に対処する方法を学ぶという。こうした傾向は、逆境に対処する力を生むが、同時に、アパラチアの人たちが自分自身の真の姿を直視するのを困難にしている。

著者の母親は結婚と離婚を繰り返し、著者のきょうだいたちは父親が異なる。次々変わる母親の彼氏に著者は嫌気がさすが、幼い子供の身にはどうしようもない。夫婦喧嘩は殴りあいや皿の投げ合いのような流血沙汰はあたりまえ。著者はしだいに祖父母とともにすごすようになるが、祖母は12歳の時に牛泥棒をライフルで撃ち殺しかけた逸話の持ち主で、祖父はかつてアルコール依存症を抱えていた。著者の同級生にも、中学時代にすでにドラッグに手を出していた連中がいて、著者自身がそうならなかったのは、祖母が「その子たちとのつきあいを見つけたら車で轢いてやる」と言い放ったからだ。祖母はたとえ人命にかかわることでも有言実行である。

こうした世界に生きる白人労働者は、事実上、「ワシントンのインテリども」とは違う世界の住人であり、自分達とものの見方が根本的に異なる政府も、マスコミも、エリート政治家達も信用しない。一方政治家達も、そうした人々の存在自体をあまり認識していなかった。

だがトランプ氏はヒルビリーが大統領選挙の支持層たりえると嗅ぎつけた。彼らに「お前達が問題なのではない。問題は移民であり、不当な貿易赤字アメリカに負わせる国々であり、お前達は被害者だ」と言った。これこそがヒルビリーの考え方だ。だから彼らはトランプ氏を熱狂的に支持した。トランプ氏が彼らの代弁者だと思った。客観的事実など彼らには関係ない。問題が自分達にはないと確信できれば良い。

 

著者自身ヒルビリー出身であるから、ヒルビリーの外側ではなく「内側」から見たものを書いている。ヒルビリーの問題解決のためにいくつか提案をしているものの、問題の根深さが浮き彫りになるばかりであり、著者も徒労感とともにそのことに気づいている。問題解決とは要するに、著者の祖父母がティーンエイジャーの頃に妊娠して駆け落ちしないためにはどうすればよかったのか、母親が彼氏を次々変えながらドラッグ依存症にならないためにはどうすればよかったのか、祖母が人生の最晩年に娘のドラッグ依存症を治療するために経済的困窮に陥らないためにはどうすればよかったのか、そういう質問に答えることだからだ。

お金の問題だけではないのは明らかだ。お金を得てもうまく使うことができなければ、結局アルコールやギャンブル、ドラッグに走ることは避けられないからだ。お金をその時々の贅沢や楽しみのために浪費するのではなく、たとえば将来の教育費用のために貯金しておくとか、そういう考えをもつようにさせなければならない。だがこれこそがヒルビリーの人々に欠けているものだ。彼らの忌み嫌う「ワシントンのインテリども」の仲間入りをするために、大金をかけて四年間大学に行くことを納得できる人はほとんどいないだろう。

解決策の提案にはまだ弱いが、この本は問題解決以前に、問題提起以前に、ヒルビリーという白人労働者達がいることを可視化したことにこそ意味があると思う。ヒルビリーの問題を解決するためには、まず彼らを「見える」ようにしなければならない。この本はそれに成功している。ここから問題提起していかなければならない。