本作の主題はきっとこれ。
「絶対者が定めた、逆らえば死罰が下る〈理〉に支配されながらどう生きるか」
私たちはさまざまな法規制や社会規則に縛られながら生きている。人間社会がうまく回るためにはルールが必要だからだ(殺人が犯罪にならない社会を想像できるだろうか?)。
だが、ルールに抜け穴があったら?修正できず、破れば死刑になるとしたら?
本作はそんな異世界の物語。読めば読むほど気分が沈んでくるが、読まずにはいられない陰惨な魅力をもつ物語。
舞台は地球ではない異世界。十二の国があるため、十二国と呼ばれる。そのうちの一国〈慶国〉には、日本から異世界に渡った女子高生・中嶋陽子が女王として君臨していた。
ある日、〈戴国〉の女将軍が利き腕に深い傷を負った血まみれの姿で慶国王宮に転がりこんだ。王と宰輔が行方不明になり、空位をいいことに臣下が暴虐無道のかぎりを尽くしている、生き地獄同然の戴国を助けてほしいと嘆願するために。
戴国の宰輔は、同じく日本から異世界に来た少年、高里要。陽子は彼を捨ておけず、できるだけのことをしようとする。しかし、そこに立ちはだかったのが「条理」だった。
十二国には〈天〉と呼ばれる存在があり、遵守すべき条理が定められている。そこには他国への手出しを禁じられている。破れば、不可思議な力により、陽子は即座に死ぬ。女王である陽子が死ねば慶国は荒れ、民は苦難を舐めることになる。
「天帝がいるのかどうかは知らない。だが、世界には条理がある、これは確かだ。そして、それは世界を網の目のように覆い、これに背けば罰が発動することも確かだ。しかもこれは事情を忖度しない。…いわば天綱に書かれている文言に触れたか触れなかったか、ただそれだけの、自動的なものなんだよ」
どんな理由があろうとも抵触すれば自動的に死の罰が下される「理〈ことわり〉」が明らかになるにつれて、陽子は戦慄せずにはいられない。逆らうことができぬ〈天〉は、戴国の惨状にもかかわらず、条理がないからなにもしない。同じ〈天〉が、戴国を助けようとする陽子達の前に、条理があるからという理由で死罰とともに立ちはだかる。
心情的に納得できるはずもない理不尽さを、小野不由美先生は書く。解決策はない。どのように選択するのか決めるのみ。無力感と絶望感に苛まれながらあがく陽子を、強い意志をもって書ききる。
次回作は十二国記完結編。舞台は戴国。不条理にどのような決着がなされるのか(あるいはなされないのか)、待ち遠しい。
絶対者が定めた〈条理〉に翻弄される人々は、小野不由美先生の前作『屍鬼』でも重要なテーマとなっていた。終盤、努力ではどうすることもできない冷酷な摂理を突きつけられた少女の悲嘆が、痛々しく響く。この物語は最低限救いがある結末だったが、十二国記はどう終わるのか。
「これが神様に見放される、ということよ…」