コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

感想がひどく書きづらい、なんともいえない読後感『黒祠の島』

 

黒祠の島 (新潮文庫)

黒祠の島 (新潮文庫)

 

一度めに読み終わったあと、消化不良感が残り、もう一度最初から読んだ。

「信頼できない語り手」というのか、登場人物それぞれが曖昧で思いこみ混じりの記憶を持ち寄り、隠されたことにたどり着こうとしているものだから、もう一度読んでも、煙に巻かれたような気分は消えない。

なるほど、物語冒頭で「夜叉島」という古い地名がすでに地図の上では使われなくなり、平凡な名前に書き換えられたとあった。町村統合などで古い地名が消えることはよくあるから気にもとめなかったが、後で読めば、それは作者から読者へのヒントのひとつだったのか。

なるほど、こういうことなら、あの写真を見たあの人はこう考えたことだろう。見せた側はそれを全く意図していなかったわけだが、思いがけない効果があったわけだ。

もう一度読むとどう煙に巻かれたのかが少しだけわかるが、それでも家系図を書きながらでないとちょっと厳しい。もう一つ、島の人々が主人公式部の言葉をどう理解したのかも、整理する必要があるだろう。

物語の舞台は、九州近郊の海に浮かぶ、近代国家が存在を許さなかった”邪教"を祀る「黒祠」を代々伝える、夜叉島。

作家が執筆する際の参考資料探しや現地調査などを仕事とする式部剛は、失踪した作家・葛木志保を探して、夜叉島を訪れた。港の船乗り場では葛木が友人とおぼしき女性とともに島に渡ったという証言を得たが、島に行ってみると、住民たちは二人の女性を見たことがない、という。

「黒祠」を祀る島であるゆえに余所者を警戒することが身についている住民は口を閉ざし、妨害する。それでも式部は一縷の手がかりをたどり、しだいに住民たちが口を閉ざす理由に近づいていく。

やがて島で起こった殺人事件が式部の知るところになる。惨事の名残を留める廃屋。神域で磔にされていた女。祀られた「黒祠」の正体は裁定者だった。罪ある者を示し、条理に背いた者に激烈な罰を与える神。果たして島でなにが起こり、葛木はどこに消えたのか。それは「罪ある者が裁定された」ゆえなのかーー。

 

閉鎖的な村を舞台にしたミステリー仕立ての小説という点で、『黒祠の島』は同じ作者が書いた小説『屍鬼』と比べられることが多い。最大の違いは、「ソト」から見た物語か、「ウチ」から見た物語かの違いだろう。

黒祠の島』は余所者である式部から見た物語であるゆえに、夜叉島の人々の心のうちに踏みこむことはできない。それゆえ、言動からある程度胸の内を推測することしかできず、夜叉島側の事情についても式部が自らの知識に基づいて推測したことが大半で、実際の祭事などはそこまでくわしく書かれていない。

一方、『屍鬼』は村の内側から見た物語だ。しかも村丸ごとが物語の舞台であるから、登場人物もかなり多い。登場人物らの胸の内がそれぞれ語られ、村の事情についても、祭事、有力者の住民たちへの影響、家同士の込み入った人間関係など、かなりくわしい描写があり、重厚長大な物語になっている。個人的にはこちらの方が読み応えがある。

屍鬼〈上〉

屍鬼〈上〉

 

 

この『黒祠の島』には、作者である小野不由美さんがしばしば別の作品でも言及するテーマが登場する。

「罪に対する罰とはなにか」

「殺人は罪か」

「事情があれば人を殺しても良いのか」

このテーマは『黒祠の島』『屍鬼』そして十二国記シリーズの中編『落照の獄』に登場するが、この問いを投げかけた人間の立場がまったく違うのが面白い。時には殺した側であり、時には殺人者を裁く側であり、苦悶の表情を浮かべて、あるいはどす黒い笑みを浮かべて、この問いは投げかけられる。

それぞれの立場を違えて同じテーマを書くことで、作者もまた、なんらかの回答を探し続けているのかもしれない。どうしても人を殺さずにはいられない事情を登場人物に用意しているのに、それでもなお、人を殺してもいいのか問わずにはいられない性格をも登場人物に与えた。それ自体が作者の迷いであり、登場人物の最大の悲劇であろうと感じられる。

丕緒の鳥 (ひしょのとり)  十二国記 5 (新潮文庫)
 

 

「罪に対する罰とはなにか」

「殺人は罪か」

「事情があれば人を殺しても良いのか」

この問いはあまたのミステリー小説で繰り返されてきたことだが、答えは人それぞれであるし、たとえば平凡に生きてきた人々と、被害者遺族、加害者遺族の答えは違うかもしれない。私もまた答えを持たない。答えを出さずにすむことこそが、恵まれている証かもしれない。

この小説は一読だけでは理解が難しいだろう。読めば読むほど、味わいが出てくるはずだ。二度三度味わってみて、自分なりの美味を見つけだすのが、良い。