コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

母娘関係に悩んでいたら読んでみよう、もしかしたら役に立てるかもしれない『毒親の棄て方: 娘のための自信回復マニュアル』

 

毒親の棄て方: 娘のための自信回復マニュアル

毒親の棄て方: 娘のための自信回復マニュアル

 
Mothers Who Can't Love: A Healing Guide for Daughters

Mothers Who Can't Love: A Healing Guide for Daughters

 

きっとこれは私が読みたかった本で、母親との関係に悩むすべての娘たちが手にとるべき本だと思う。

この本に書かれているいくつかのことを、私は自分で思いついてやったことがある。自分の感じたことや考えたことを書き出す、なぜこのように感じたのか考える、それを口に出す。

「母親は私の考えを尊重してくれなかった。いつも自分の意見を押しつけて、あるいは先回りして私の代わりにものごとを決めた。私はそれが嫌だった。失敗してもいいから自分で決めたかった。私が考えたことを聞いて、頭ごなしに否定するのではなく、たとえそれが母親にとってばかばかしい意見でも尊重してほしかった」

この結論にたどりつくのに、5年はかかったと思う。

自分の中のなりふりかまわない怒りを見つめて、書き出して、分析して、名前をつけて、整理する作業にかかった時間よりも、その作業にとりかかることで不安定になる自分自身の心、時には「なぜこんなにおかあさんを不快に思えるの?」という自己嫌悪に死にたくなる心を落ち着かせるための時間のほうがはるかに長かった。あの暗い夜、死にそうなほど落ちこんだ気分で、照明の届かない、鬱蒼と茂る木々のそばを歩いたことは一生忘れない。それだけ手助けのない感情分析は辛かった。

 

かつて、実母と口喧嘩になったときに言われたことがある。

自分の母親にすらちゃんと良く接することができないあんたが、他人と良い人間関係を結べると思ってるの?

この言葉は私の脳裏に刻まれてしまっていて、母親からなにをほしかったのか、なにを得られなかったのか、それが私の人間関係の結び方にどれほどの影を落としたのか、理解した今でも消えない。親と仲が悪くても他人と仲良くすることはできる、と、頭では理解している。だが心の奥底では、ときどきこの言葉が鋭いこだまのように響く。

なお悪いことに、私の配偶者は、家族、とりわけ母親孝行至上主義だ。小競りあいならまだしも、私が実母に正面切って喧嘩することを好まず、まあまあとおさめようとする。実母ならまだそれくらいで済むが、私が義母に「反抗的な」態度をとろうものなら、配偶者はあからさまに不快感を示し、私をその場から連れ出して頭を冷やさせようとする。配偶者の頭には、客観的にどちらの言い分に非があるかよりも「母親に反抗したり失礼な物言いをしたりすることは無条件に責められるべきこと」とインプットされている。その姿は、自分自身の感情をはっきりと自覚する前の私にそっくりだ。

おそらく、これが大多数の人間の頭に刻まれた母親神話だと思う。母親は子どもを愛し、子どものためを思って行動しているのであり、それをわかってあげられない子どもの方が親不孝者で悪者だ、と。

 

実母との関係で私が感じていることを、誰かに理解してもらうのはきわめて難しいと気づいたのはいつだっただろう。

実の姉妹でさえ、私と同じようには感じていない。彼女はさまざまな理由で私ほどには母親の影響を受けていない。私から見た彼女の姿は、私がなりたかった理想形のひとつだ。実母と適度な距離をおき、悩みを相談することもできるし、意見が合わなければ反発もできる。他人との人間関係を結ぶことを楽しみ、大勢の知人友人にかこまれ、たくさんの人から好かれて頼りにされている。どれも私にはないものだ。

そう思っていた。

「私には手に入らない」と思いこんでいたのかもしれない。そう思えるようになったころにこの本と出会い、私が今までしてきたことは無駄ではなかったことを知った。私がしてきたことのいくつかは、まさにこの本で紹介されている、娘たちが母親との関係を見直す方法そのものだったから。

本書は『毒になる親』を書いたスーザン・フォワード女史の新作。

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

著者は心理カウンセラーとして数多くの女性たちに会う中で、母親との関係に問題がある女性たちの多さにおどろき、彼女たちのための本を書くことを思い立ったという。

母親と娘との関係は複雑だ。母親は同じ女として、娘の心理を巧みに操る方法をよく知っている(これが男の子だったらそうはいかない)。娘は母親のやり方に疑問を抱いても、「あなたを産んでくれた母親は大事にしないとダメよ」という言葉に縛られて、自分が抱く違和感を誰にも訴えられなくなってしまう。とくに幼い娘は母親がいないと生きていけないから、「おかあさんはわたしを生かしてくれる」という希望にすがりつきたいあまり、「おかあさんがわたしにつらくあたるのは、わたしがいけない子だからだ、いい子にしないとおかあさんに見捨てられてしまう」という自責感情を内面に溜めこんでしまう。この思考パターンは娘の心の奥深くにプログラミングされ、成人してからも娘の思考方法を支配する。

“Unloving Mother”

著者が母親たちを呼ぶときに使う言葉だ。愛さざる母親。愛さざる母親をもった娘たちが自分の人生を持つことを手助けするために、著者はこの本を書いた。

この本には、愛さざる母親の五つのタイプと、愛さざる母親をもった娘たちを助けるための具体的方法を紹介している。母親宛に(もちろん投函されることのない)手紙を書き、母親がしたこと、自分が感じたことをそのまま書く。それを大声で読み上げる。母親と毎度口論になるのであれば「あなたはそう感じるのでしょうね」などの、攻撃的にならない、けれども母親にそれ以上攻撃させることもない回答をいくつか用意しておいて、それを自然に口に出せるようになるまで練習する。母親とのつきあい方に境界線を設ける(「毎日電話するのはもうたくさん。週ニー三回であればいいわ」)。母親とのつきあい方を変えると宣言して、母親が泣いてもわめいても、これが独立した自分の生活を営むために必要なのだと宣言し、実行する。

著者がこの本で強調しているのは「母親を変えることはあきらめること。それは娘の責任ではないのだから。けれど、娘の母親に対する接し方を変えるのは娘の責任であり、娘にできることだ」という点。

私はこれについての金言を書き留めておき、何度も見返している。

As an adult daughter you are responsible for:

  • Claiming your own self-worth.
  • Having the life you want.
  • Acknowledging and changing your own behavior when it is critical or hurtful.
  • Finding your own adult power.
  • Changing the behavior that’s a replica of your mother’s unloving programming.

成人した娘として、あなたは以下のことに責任をもつ:

  • あなた自身の価値を主張する。
  • あなたがほしい人生をすごす。
  • あなた自身のふるまいが批判的だったり攻撃的だったりするとき、それを認め、ふるまいを変える。
  • あなた自身の成熟した力を見つける。
  • あなたの母親の愛なき刷りこみそっくりのふるまいを変える。

私が自分自身のふるまいを変える試みはこれからだ。私はまだ、母親と数時間一緒にいれば口喧嘩を始めてしまう可能性のほうがはるかに高い状態にある。けれども私は、この本に書いてあることのうち、かなりのことをすでに実践してきた。これからは、母親との会話をコントロール可能なものにすること、なにかあれば攻撃的になるのではなく「あなたの考えではそうなのでしょうね」と冷静に返せるようになることを、まずは目指していきたい。