コーヒータイム -Learning Optimism-

18歳のわが子に読書をすすめるために、まずわたしが多読乱読しながらおすすめを探しています。英語書や中国語書もときどき。

ロシア語通訳として見聞きした世界〜米原万里『心臓に毛が生えている理由』

嘘つきアーニャの真っ赤な真実』の著者のエッセイ集。ロシア語通訳として政府高官やメディア取材に同行することがよくある著者ならではの視点から、日本との文化的違いが浮き彫りになるワンシーンを切り取った文章が多い。とくに著者の本業である通訳にからめて、言葉の文化的背景についてのエッセイは読み応えがある。

たとえば日本語では「素晴らしい」のひとことで済ませられるが、ロシア語ではこうである。(著者はわかりやすさのためにわざと英単語を使っている)

「だって、米原さんは、僕がadmirableと言っても、amazingと言っても、braveと言っても、brilliantと言っても、exellentと言っても、fineと言っても、fantasticと言っても、gloriousと言っても、magnificentと言っても、marvelousと言っても、niceと言っても、remarkableと言っても、splendidと言っても、wonderfulと言っても、必ずスッバラシイーと転換しているんだもの。いやでも覚えてしまうよ」

著者はこれを「感動が噓偽りないものだと、自分と他人を納得させようと必死な感じさえする。極めて緊張した人間関係がかいま見える」と評している。

これが正しいのかどうか、私にはわからないけれど、言葉というのは、文化そのものであり、ある言葉を選ぶことで、世界に対する見方まで変わってしまうのは、よく知られている。

たとえば、日本では雪は白色とされるが、北極圏に近いところに暮らす先住民の言葉では、雪の色を表現する言葉が何十種類もある。日本では虹は七色であるとされるが、アメリカでは6色だ。

言葉のスペシャリストである著者が、言葉、習慣などから、その背後にある文化をさぐろうとする姿勢が、すべてのエッセイに貫かれている。チェコで教育を受けた著者にとって、知識は断片的なものではなく、それぞれが論理的必然性や物語の文脈といった意味のある結びつきをしていなければ、使えないものだ。著者にとって、異なる言葉、異なる習慣を理解するための手段が「文化的背景に結びつける」ことだったのだろう。

この本には、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を書いたきっかけも登場する。学生時代のアーニャはルーマニア共産政権幹部の娘として贅沢な暮らしをし、ルーマニア人としての愛国精神が強い少女だった。だが、ルーマニアチャウシェスク共産政権が崩壊したあと、あれほど愛国心豊かだったはずのアーニャはイギリス人と結婚してロンドンに移住し、再会した著者に「国境なんて二一世紀には無くなるのよ」「民族とか言葉なんて下らない」と言い放つ。そこに著者のみならず、かつての級友たちも反発した。一方、NHKで放送されたこの言葉は、グローバル化時代にふさわしいとして日本で肯定的に評価された。

どうして二人の優秀なテレビウーマンが納得し、多くの日本人視聴者が感動したアーニャの発言に、わたしや他の級友たちが欺瞞と偽善の臭いをかぎ取ったのか。そこに、日本人の考えるグローバル化と本来の国際化のあいだの大きな溝があるような気もした。

著者は自分の感じ方とNHK視聴者の感じ方がなぜこれほどちがうのかをさぐるために、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を書いた。アーニャのこの発言の背景と、級友たちの人生物語とを添えて。

このエッセイでは、著者は「溝」をはっきり書いているわけではない。けれど、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読んだ私には、なんとなく察することができた。

グローバル化とは民族や言葉を統一することではない。むしろ逆だ。文化背景や生活習慣がまったく異なる人々の中にいれば、自分が何者かをはっきりさせるために、自分の文化背景や生活習慣を強く自覚するようになる。まわりもそう扱う。著者が通ったソビエト学校において、自国に誇りを持たない者は軽蔑された。私の知りあいの留学生は、同国の留学生同士では母語を使うことにこだわり、現地の言葉を使う者は仲間だと認めなかった。

グローバル化とは、まったくタイプが異なる人々の中に投げこまれることだ。グローバル化時代に求められるのは、「自分はこういう人間だ」との立ち位置をはっきりさせ、自分の人生をしっかり生きていけることだ。そして生まれ育った文化背景は、切り離すことができないその人の一部だと、著者も級友たちも考えているし、アーニャが学生時代、ルーマニアへの愛国心に滾っていたのを見てきた。だからこそ「民族とか言葉なんて」というアーニャの言葉に、心底反発し、軽蔑したのだろう。

 

珠玉のエッセイを一篇ずつ読みながら、異国の文化にひたる。知的好奇心をたっぷり刺激したら、いつかその国を訪れたいという好奇心が、むくむくと頭をもたげてくるはずだ。