コーヒータイム -Learning Optimism-

18歳のわが子に読書をすすめるために、まずわたしが多読乱読しながらおすすめを探しています。英語書や中国語書もときどき。

子を持つ親が自省するためにこそ読んでほしい〜岡田尊司『子どもの「心の病」を知る』

子育てのための参考書として読み始めたけれど、読みつづけるにつれて「これ私のこと!」という気づきがどんどんでてくる。

 

いわゆる「心の病」は、見た目や検査で異常がわかる身体の病とはちがう。統合失調症自閉症など、脳の機能自体に異常がある精神疾患もあるけれど、それ以外に、誰もが多少持ち合わせている精神活動や性格的特徴が、社会的活動が困難になるほど強くなってしまったものも「心の病」にあたることがある。たとえば、好かれていると確信できない相手と対人関係を結ばなければならないとき(代表的なのは嫁と姑)、誰もが多少緊張を強いられるもの。けれど、この緊張が高くなるあまり、自分が好かれていると確信できる相手でなければ対人関係を結べなくなると、回避性パーソナリティ障害の疑いがでてくる。

生まれついての機能障害ではない「心の病」は、そのひとの赤子のころからの経験に根付くことが多い。ときには経験自体が脳の構成に影響する。本書の著者はもちろん、さまざまな子育て本が口をそろえて「小さい頃の性格形成は一生影響する」と言っているのは、理由があるのだ。

生後数カ月まで、脳ではシナプス(神経と神経のつなぎ目)が過剰に形成されるが、そのうちの使われるものだけが生き残り、使われないものは失われていく。「刈り込み」という現象である。青年期の終わりに脳が完成してしまうまでに、どのシナプスが生き残るかは、その子の成長過程での体験と学習にかかっている。つまり、体験と学習が脳を作っていくのである。

……

ことに四、五歳頃までの脳の可塑性、吸収力は極めて大きく、その時期に身につけたものが生涯を支配するといっても過言ではない。この極めて吸収力の高い時期を「臨界期」と呼ぶ。

そう考えると、子育てというのは責任重大である。

小学生になれば、学校や友人などまわりの環境の影響がどんどん大きくなるけれど、それよりも幼い頃、保育園や幼稚園の頃は、両親、家庭環境がほぼ決め手となる。

だいたい六歳の誕生日より前に身についたものが生涯を支配するといい、この時期を過ぎてから身についたものを変えるのは多大な努力を支払わなければならないというのなら、幼児教育だ英語教育だとさわぐ前に、まず情操教育からはじめるべきだ。

だが、これこそがもっとも難しい。

子は親の背中をみて育つもの。親が意図的に教えこもうとすることよりも、親が無意識のうちにしていることこそを、子どもは吸収してしまう。過干渉、無関心、ほめることが多い、叱ることが多い……親にとってはいまさら意識することもない日々の習慣こそが、子どもの生涯を支配するというのなら、親自身が変わるしかない。だがそれができる親がどれほどいるだろう? 

私自身、かつてあれだけ親に反発心を覚えたにもかかわらず、自分自身が子を持つと、疲れているとき、余裕がないとき、気づけば私自身の親が私にしたのと同じように、我が子への態度がおざなりになることがある。そのことに気づいて愕然となるが、すぐに「いまは疲れていただけ」「一度くらいなら大丈夫」と、軽く考えようとする。だが、本当に影響が軽いかどうか、決めるのは我が子であって私ではないと思い直し、葛藤に陥る。自分自身の行動をいちいち振りかえったり反省したりしているうちに、疲れてしまう。

知らず知らずのうちに、子どもに寂しさや悲しみを味わせているかもしれない。そう思うといてもたってもいられなくなるが、どうすれば良いのかわからずに、結局、慣れ親しんだ行動様式を繰り返してしまう。子どもがやがて答えを教えてくれることを待ち望み、同時に、子どもから責められることを恐れながら。

十分な愛情と保護を与え、見守り続ける必要がある。この子はしっかりしているから大丈夫、などと思ってはいけない。甘えるのが下手な、我慢する子ほど、気をつけておかねばならない。小さい頃に我慢して愛情をもらいそびれたツケが、思春期になって回ってくることは非常に多いのである。

 

本書を読んでいて思ったのは、私自身の思春期にはきっと「無意味に反抗する」ステージが足りていなかったのだろうということ。思春期には、たとえそれがどんなに正しいことであっても、自分自身が納得するまで反抗することが必要だったが、私は親との関係の中でその反抗経験をすることができなかった。社会に出てからこのツケを十年近くかけて払わされた。決して愉快な経験ではなかったーー私自身にとっても、巻き込まれた同僚たちにとっても。

一見理由のない、無意味に思える反抗にも、ちゃんと大切な理由があるのだ。それは、自分自身になろうとしているということである。親から与えられた既成の殻を破って、自分自身を獲得しようとする試みなのである。そのためには、まず、既成のものを否定する必要があるのだ。それが、どんなに正しかろうと、自分が自分の力でそこにたどり着いたものでなければ、一旦、それを疑ってかかり、打ち消し、もう一度自分で発見し直さなければならないのだ。そうして初めて、それは自分の考えになる。

さまざまな葛藤を乗り越えて、人間は社会性を獲得していく。そのうちいくらかは本来持つ本能的反応に逆らうことを強いる。そのことを知っていれば、あがり症も人前での緊張も「まあ仕方ないよね」で済ませることができ、ちょっとだけ心が楽になる。

人はなぜ人を恐れるのか、という問いは、おそらく反対であるべきなのだ。なぜなら、多くの動物は、同じ群れの仲間以外には、激しい恐怖や敵意を感じ、攻撃性を剥き出しにして、縄張りを守ろうとするからである。むしろ、人はなぜ人を恐れないのかと問われるべきだろう。

......

本能的には感じるはずの恐怖や緊張を克服できるのは、幼い頃からの体験と学習の賜だと言えるだろう。人は恐れるべきものではないということを、長い時間をかけて学ぶわけである。

 

本書は子育て世代のみならず、すべての人に読んでほしい。子育ての悩み、子どもの「心の病」を治すためではない。子どものふるまいの多くは親自身に根源をみつけることができると学び、親自身のふるまいを反省するために。