コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

ひねくれ者世にはばかる、そこが好き〜フミコフミオ『 ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』

フミコフミオ氏は有名なブロガーだというけれど、私は彼のブログを読んだことがない。この本を手にとったのをきっかけに読んでみた。うーん、今年入社したとある後輩のブログとどことなく雰囲気が似通っている。後輩くんも20年後にはこういうブログを書いているのかもしれない。

Everything you've ever Dreamed

 

この本『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』では、著者は40代になって人生半分過ぎたと意識するようになり、いい感じにひねくれている。好きだなあ、このひねくれ方。とくに「空気を読む」ことについて書いた章が好き。

雰囲気を察したうえで、察したことを大勢に宣伝して味方につけ、より大きな勢力をつくることで面倒な少数意見者に「うまく立ち回ろうよ」という圧力をかけて、場を収めていくのが「空気を読む」の意味するところである。僕に言わせれば、受け手に「読む」という行動を求めて、相手の主体性を尊重しているように見せかけているのがあざとすぎる。

議論は白熱したほうがいい。問題は解決したほうがいい。だが、こうしたケースでは白熱した議論や明確な結論は歓迎されない。つまり、空気読めは、有意義な議論や到達しなければならない結論よりも、集団としての秩序を保つことをヨシとする考え方。

このあたり、件の後輩くんのブログにも書かれそう(書いているわけではないが後輩くんが好みそうなネタだ)。まあ、私自身、素晴らしいお手本先輩だという気はかけらもない。どちらかというと反面教師だろう。ちなみに著者はその辺もちゃんと書いてくれている。情報過多なこの時代、わざわざ反面教師から無理に学ぶこともないわけで、私などは避けて通られるだけだろう……と、自己卑下してみる。

現実は、そういう学ぶべきことの多い素晴らしい人たちばかりではない。欠陥上司。不良先輩。無能同僚。かつては教材が不足していたので、そういうどうしようもない人たちの言動からでも何か学ばなければならなかった。そして生まれたのが反面教師。ところが現代はインターネットで知識も実例も検索できる時代。わざわざ問題のある人物たちから無理に学ばなくてもいいのである。

後輩くんと彼のブログはおいておくとしても、この本はなかなか面白い。中年管理職あるあるを、ひねくれた(ただしひねくれすぎてはいない)文章でまとめている。ひねくれ度合いでいうと、もうひとり、私が記事を愛読している借金玉さんほど強烈でも突き抜けてもいないけれど、いい塩梅。私が著者と同じ40代後半であったなら、きっともっと繰返し読むだろう。そんな気がする。