コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

財政破綻が起きたとき、わたしたちの暮らしはどうなるか〜小林慶一郎『財政破綻後』

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

このうち、この本は①②の中間にあたる。人口減少時代に人口増加を前提とした社会制度をひきずり、その結果として財政破綻を起こした日本、という、ディストピアのような環境を想定(これが①)し、そこから逆に、最小ダメージにおさえるために現社会制度をどう変えるべきか提言する(これが②)書物だからだ。

財政破綻後の日本がどういう環境になるかを知り(おそらく許容できないほどの生活の質低下が起こるだろう、とくに医療制度・介護制度)、日本が旧社会制度をひきずったあげく財政破綻を起こすのであれば、その兆候となりそうなできごとを読みとり(たとえば、本書冒頭で兆候としてあげられている「国内外の投資家が日本国債を買いたがらない」については、すでに数年前、三菱東京UFJ銀行国債入札資格を返上したことがニュースになった)、自分自身と家族を守るためにどうすればよいかを考えたい。また、財政破綻のリスクを下げるために日本政府がなんらかの手を打つのならば、その意味を理解したい。

だから、わたしはこの本を読む。

三菱東京UFJが国債入札資格を返上 財務省陰謀論の声も――財務省 | | 経済界ウェブ

 

財政破綻後 危機のシナリオ分析

財政破綻後 危機のシナリオ分析

  • 発売日: 2018/04/19
  • メディア: 単行本
 

本書はまさに『ファスト&スロー』『巨大システム失敗の本質』でとりあげられていた【死亡前死因分析】の手法。この先日本が財政破綻を起こしたとして、その原因となりそうなものはなにか、それを踏まえていまどんな手を打つことができるか、という本だ。

長期的に見れば、この先日本の人口は減少しつづけるだろう。人口予測は最も楽観的なシナリオでも人口減少のトレンドを示すし、日頃見聞きしているニュースでも「少子化」「子育てしにくい」などの言葉が増えている。一部の都市圏にファミリー層が押しよせて保育園激戦地域となり、地方では高齢化がどんどん進む、というイメージがすっかり定着した。

ゆえに本書では「縮減する人口に応じた社会のあり方を探求していくべき、現社会制度は持続不可能であり、財政破綻の可能性は無視すべきではない」と提言している。人口減少は2010年頃から始まっているが、われわれの社会制度は未だに人口増加と右肩上がりの経済成長を前提にしている(2010年よりずっと前に制度設計されたのだからあたり前である)。前提が全然違うのだからこれまでの社会制度がうまくいかなくなるのは目に見えている、大胆な方針転換と制度改正がいずれ必要になる、というわけだ。

 

財政破綻の定義はこう。

本書における財政破綻とは、さしあたり「緩やかな(2%程度以下の)インフレ率のもとで、正常な(4%程度以下の)名目金利を維持できない状態」を指すとしておきたい。つまり、「財政破綻とはインフレ率または名目金利が高騰する状態」を指すのである。

インフレ率も名目金利も、関連づけられるのは日本国債金利である。ここで日本国債金利は低空飛行がつづいているという、一見、好状況が紹介される……が。

  • 経済理論によれば、国家財政が持続性を欠くとき、本来、日本国債はリスク高として金利上昇させなければならないはず。実際、海外格付会社は日本国債に厳しいランクをつけている。
  • その日本国債を買い支えているのは、貯蓄超過により潤沢にある国内金融資産である。
  • しかし高齢化がすすめば家庭貯蓄は取り崩されるし、民間企業もいずれは設備投資に資金を回すことになるだろう。そうなれば今のように日本国債を買い支えることはできなくなり、日本国債金利上昇を余儀なくされるかもしれない。そうすれば財政破綻に近づく。

このような論法で、本書は警鐘を鳴らしている。

こうなれば、時事問題として、就任したばかりの菅首相が消費税増税に言及したり、竹中平蔵氏がベーシックインカムに言及したりすることが、どういう意味をもつのかがわかってくる。財政破綻を避けるための苦肉の策なのだ。選挙有権者の大部分を高齢者が占める現在、彼らの怒りを買わないためにも、年金・医療などの敏感な分野にはまだ手をつけられない(わたしとしては、財政破綻後でなければこれらの制度の抜本的改革は無理だろうと思う)。だからまず税収を増やし、福祉分野の支出を減らそうとしているのだろう。

では財政破綻が起こればどうなるか。企業や家計に置き換えてみればわかるけれど、大幅な歳出削減と構造改革によって金融市場の信頼を取り戻さなければならない。歳出削減では年金・医療・介護・福祉がターゲットとなるだろう。年金は個々人の貯蓄で当面はまかなうとしても、生活の質を直撃するのは医療・介護。本書では医療制度で起こることについて、かなり悲観的なシナリオを示している。

診療報酬が大幅に引き下げられれば、ほぼすべての病院が赤字になる。その中で国公立病院の場合、赤字になっても誰かが財務上の責任をとる仕組みにはなっていないので、赤字を垂れ流しながらでもしばらくの期間、存続すると予想される。しかし、民間病院は大打撃を受ける。民間病院経営者は資金調達するときに銀行から連帯保証を強いられている。病院が赤字経営になり借入金返済が困難になったとみなせば、銀行は民間病院経営者に連帯保証の責任履行を求めてくること必至である。保有国債の価格暴落で自己資本を毀損した銀行には構造赤字に陥った病院を支援する余裕などないからである。

 

では財政破綻後にやるべき抜本的な制度改革には、どういうものがあるか。本書では以下のとおりとしている。

歳出の効率化に向けた改革を取り上げる。具体的にはEBPM(EvidenceBasedPolicyMaking、証拠に基づく政策形成)、PFIなど民間資金・経営ノウハウの導入、公的不動産の収益化である。合わせて公共サービスのコストを「見える化」して国民のコスト意識を喚起する。これにより財政赤字を作らない体質(構造)への転換を図る。

この見出しを見たとき、わたしの中に違和感が芽生えた。

民間資金・経営ノウハウの導入は、国家予算に馴染むのか?

日本政府にかぎらず、かなりの数の政府がしていることは、収益が目的ではない、という一点で、じつは民間企業経営とは真逆なのではないかと思う。民間企業経営であればもうからないことはやらない。ひるがえって政府は、もうからないことをやらねばならないこともある。収益を生むかどうかは、判断基準のひとつにすぎない。

本書のテーマは、財源もないのに身の丈以上のことをやろうとすれば遠からず財政破綻を起こすということなのだが、それでも民間企業経営のノウハウを導入することには、ひどく違和感がある。

役立つか立たないかにこだわりすぎたのが、民主党政権下での仕分けではなかったか? そのくせどう役立つのかきちんと評価出来ていなかったから、やみくもに科学技術分野の助成を削減しようとしたのではなかったか?

違和感は絶えない。

違和感の根源はきっと、「コスト以外の取捨選択の判断基準がみえていないのに、やみくもに民間資金・経営ノウハウを導入してもうまくいかないのでは」という気がしているためだ。

コスト以外の判断基準を決めるためには、日本としてここだけは優先させたいという「あるべき姿」がはっきりしている必要があるが、ここで迷走しているから、結局行くべき方向がわからないのではないか。そんな気がする。

たとえば中国は「アメリカにIT分野で追いつけ追いこせ」とばかりに、多少経済状況が苦しくなっても、IT分野への投資を惜しまない。アメリカは(トランプ大統領のもとで多少変わってきたが)軍事設備のためには出費を惜しまない。

だが日本にはなにがあるだろう?「多少苦しくても今後のためにここにだけはお金をかける」というものは?(ある意味年金がそうだが「今後のため」ではないから置いておく)

ここでコンセンサスがとれていないと、結局、どんなに構造改革を叫んだところで、元の木阿弥なのではないか。本書のテーマを越えているとわかりつつ、違和感を拭い去ることはできなかった。